超訳・詩の中に広がるにゃんだフルワールド(5)どっちも譲らない:猫は誰のもの?

コラム

中国語語学誌『聴く中国語』では猫と詩人をテーマに昔の漢詩をご紹介しています。

今回は声優で翻訳家である白伊先生が執筆された、どっちも譲らない:猫は誰のもの?というコラムをご紹介します。

 犬に比べて、猫はなかなか懐かないというイメージがありますよね。

 猫は気まぐれにすり寄ってきたりもするけど、大体つんとすました顔の塩対応が通常モードです。飼えても飼い馴らせないのが、猫と言う生き物です。

 隣の家の飼い猫だと思ってちょこちょこ餌をあげていたら、隣の人もこちらが飼っている猫だと思い込んで世話をしていただけらしい、というほっこりストーリーも、たまにSNSで見かけたりします。

 さてさて、この場合は、一体全体、猫はどの家の猫になるのでしょうか……?

 参考に猫の所有権を巡って争う古代の事例を見てみましょう!

猫は懐かない? 又判争猫儿状 yòu pàn zhēng māo ér zhuàng /唐·裴谞

【现代文】

你们听好了啊。猫才不认谁是它的主人呢,它只管住在家里捉老鼠。

所以你们两家都别争了,反正将来都是我裴谞的!

訳文:

唐·裴諝
 いいか、よく聞きたまえ。猫ってのはな、自分に主がいるなんてこれっぽっちも思っていない生き物だ。人につかず、家について、鼠を捕るだけ。

これはにゃんの言葉?

傍家 bàng jiā

家につくという意味。ただしご注意を!現代ではその意が変わり、その家の人ではないが家の財産を付け狙う立場の人間を指す言葉になっている。傍家というと、既婚男性の浮気相手――すなわち情婦なのだ……!

人と慣れ合うつもりはないさ――猫系男子宣言!

 日本には「犬は人につくが猫は家につく」という言い習わしがあるが、案外古代の中国でもそういう考えの人も少なくなかったかもしれない。

「争いは醜い!お猫様は皆のものだ!!」となればいい話になるのに、「争いは醜い!お猫様は俺様のものだ!!」と言い放つ作者、どこのジャイアンかと突っ込みたくなるよね……

 実は作者の裴諝は猫に自分を投影してこの詩を作ったのだと言われている。

 文才に満ち溢れた自分が、ネズミ捕りがお手の物の猫と同じように引く手あまたでも、自分は誰かにかしずくことなく、縛られることなく、まさに主を認めない孤高な猫の如く、心は自由なのである――

 こうも堂々と猫系男子を宣言するのも、裴諝が初めてかもしれない。また、俊敏で才覚があることや、独立した精神を持っていることなど、猫の魅力を見事に把握している彼もまた、愛猫家の一人だったかもしれない。

今回紹介した白伊先生のコラムは『聴く中国語』2024年8月号に掲載しております。

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