中国語語学誌『聴く中国語』は毎月、日本で活躍している中国の有名人や日中友好に貢献している日本人にインタビューをしています。
今回は、起業家であり、無形文化財「瓷胎竹編」の普及に尽力されている、譚雪嬌さんにインタビューをしました。豊かな感受性と優れたデザインセンスを併せ持つ譚さんが、どのようにしてビジネスと芸術の道を歩み始めたのか、伺ってみましょう。
――譚さん、こんにちは!まずは、譚さんの生い立ちについて教えていただけますか?

はい、私は広州近郊の小さな農村地域の出身です。祖母はござを編むのが得意で、小さい頃はよく手伝いをしていました。今思えば、竹の手仕事が身近にあったのは貴重な体験でした。夏、竹林の中を歩く時に見ていた、竹の隙間から太陽の光がキラキラと輝く景色がとても美しくて、それがずっと心に残っています。

私が6歳を過ぎた頃、家族みんなで小さな町から広州に引っ越し、その後大学まで広州の学校へ進学しました。(どちらの大学で何を専攻されていましたか?)広州美術学院で「装飾デザイン」を専攻しました。主に広告などのグラフィックデザインを学んでいましたが、ある授業で竹を使った立体作品を作ったのがきっかけで、竹の造形に魅了されました。

――卒業後はどのようなお仕事をされたのですか?
竹を扱う貿易会社に入りました。その会社では、広東省のある地域で育つ「厘竹」という丈夫な竹を扱っていたので、そこに惹かれて入社を決めました。ですが、思うようなデザインの仕事はできず、すぐに退職。退職後、自ら竹製品のデザイン案を作成し、その以前勤めていた会社の社長に見せに行きました。投資をお願いすると快く快諾してくださり、鳥かごの技術を活かした照明器具の制作を始めました。

――なぜ「鳥かご」だったのですか?
初めは、デザイン案を見た社長に提案していただきました。私自身、幼い頃に父が鳥かごを持って飲茶に連れて行ってくれた思い出があり、私にとって「鳥かご」は身近で思い入れのあるものでした。清遠の鳥かご職人に依頼して作った照明器具が評判を呼び、その後東京ギフトショーにも出展したんです。ですがその時、中国製だと伝えるとあまり好意的ではない反応を見せる方もいて、それがショックでした。

――その後、ご自身の工房を立ち上げられたのですね。
はい、ブログで制作過程を発信したら注目されるようになり、2009年に「Nature bamboo 自然家」を立ち上げました。最初は収入がなかったので、副業としてネットでアパレル店もやっていましたが、「新中式」ブームが来たことで、ようやく中国らしさが受け入れられるようになり、追い風になりました。

――瓷胎竹編との出会いもあったそうですね。
2011年頃、四川へ視察に行った際に伝統工芸である「瓷胎竹編」を知りました。磁器に細い竹を編み込む技法で、職人さんが一本一本手作業で削った0.45mmの竹ひごを使います。50kgの竹からわずか400gの竹ひごしかできないので、正直とてもコストがかかります(笑)。でもその分、唯一無二の美しさと品があり、私はそれに惚れ込んだんです。職人さんと協力して商品開発をし、商品を作っていきました。

――模倣品やコピー製品についてはどう思われますか?
デザイナーとして、オリジナルを作った立場として、初めはショックでしたし、複雑な気持ちでした。でも今は、だんだんと気にならなくなっていきました。この伝統工芸自体はもともと古くからあり、ずっと受け継がれてきたものです。製品のデザインが模倣されたとしても、この伝統工芸が残り続け、村の人たちに「地元に残って仕事をする」という選択肢が増えるなら、それでいい。今の私の目的は「伝統工芸を残すこと」なんです。

――最後に、この仕事の魅力はなんですか?
職人さんが竹を選ぶ時、竹と“会話”しているように見えることがあります。自然と人が対話しながらものを作っていく、そのプロセスがとても尊いと感じます。いつか日本の職人さんともお仕事ができればと思っていて、今はそのチャンスを楽しみにしています。


「Nature bamboo 自然家」代表
譚雪嬌
1983年生まれ。
広州美術学院インテリアデザイン学科(当時)卒。
無形文化財である伝統工芸「瓷胎竹編」を
取り入れた革新的なデザインで、その普及に取り組む。
今回のインタビューの続きは月刊中国語学習誌『聴く中国語』2025年8月号に掲載されています。さらに詳しくチェックしてみたい方は、ぜひ『聴く中国語』2025年8月号をご覧ください。





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