皆さんはいかがお過ごしでしょうか。今月もまず、筆者の「近況報告」からお話したいと思います。筆者は今月、イギリスで開催された日本語教育の学会に参加するため、初めてイギリスを訪れました。ロンドンとニューキャッスルという二都市に滞在しましたが、ほとんど英語が話せない筆者でも何とかサバイバルできたくらい、現地の人々がとても親切でした。何というか、英語を自由に使いこなせない非母語話者にとても丁寧に接してくれていたような気がします。それから、ロンドンは思っていた以上に国際都市で、いろんな人種、宗教、バックグラウンドをもっている人々がお互い仲良く、穏やかに暮らしているように見えました。多言語、多文化なのに、ロンドンがもつこの調和と余裕は一体どこから来ているのか。色々な言語、文化が混ざり合うロンドンのような町がとても魅力的に見えました。そうした雰囲気の場所にいると、自分が「外国人」だと意識しなくなるような気さえしました。
「外国人」といえば、こんなエピソードがありました。筆者は一度だけ、ロンドンの車掌さんとおしゃべりをする機会に恵まれました。その時、自分の英語に自信がないため、やがて意思疎通ができなくなるのではないかと恐れた筆者は会話の始めにその方に、「I’m sorry, I am a foreigner, I’m not good at English(すみません、私は外国人です。英語が苦手です)」と我流の英語で先に謝りました。すると、その方は「そんなの関係ない、気にするな」的な顔で笑いながら、「We are all foreigners, if I go to Japan, I will be a foreigner.(私たちはみんな外国人だよ。私が日本に行けば外国人になるんだから)」とおっしゃいました。その瞬間、We are all foreigners、ということばにハッとしました。「そうだ、誰だって外国人になるんだ」、自分が外国人で、うまくことばがしゃべれないことをコンプレックスに感じる必要がないんだ、と初めて思えました。思えば、10代前半で日本に来て、それからという日々、「私は外国人で、日本語を日本人のようにうまく使いこなせない」というコンプレックスを抱えたまま、今日に至っています。きっとこれからも、ことばと文化の高い壁は超えられないが、We are all foreignersということばを胸に刻んでいれば、多少楽になれるような気がします。それを悟らせてくれた車掌さん、それから非母語話者の話す英語に我慢強く、親切に耳を傾けてくれたイギリスの方々に心から感謝したいです。
ロンドン滞在中、中華料理のレストランにばかり行きました。中国人としてやっぱり中華が好きというのもありますが、スーパーに行っても冷たいサンドイッチ、お弁当が多いため、暖かい食事を基準に選ぶとどうしても中華になります。印象としては、ロンドンでも「ガチ中華」のお店が主流のようです。味は本格的で、中国本場の料理を味わうことができます。そして何よりもほっとするのが、やっぱり中国語が使えることです。一人で異国にいて色々と心細いときに、日本好きで自称「オタク」の店員さんの女の子と仲良くなれたときは本当に嬉しかったです。四川省出身の彼女はロンドンで暮らしていながら、イギリスには全く興味がなく、暇さえあれば必ず日本を訪れるという。ロンドンに来てから、英語よりも日本語の勉強に日々励んでいるだとか。筆者が“我是从日本来的(日本から来ました)”と言ったときの、彼女が投げかけてきたあの強い、憧れの視線は忘れられません。
さて、今月のことばの話です。イギリス滞在中に英語の本を拾い読みしたら、knee-slapper(直訳:膝叩き)という語の意味が気になりました。原文はこうです:I soon discovered that Dante’s visionary epic wasn’t exactly the knee-slapper I’d been hoping for(直訳:ダンテの幻想的な叙事詩(『神曲』)は私が望んでいた膝叩きではないことがすぐにわかった)。kneeは「膝」、slapは「叩く」という意味なので、knee-slapperは恐らく「膝叩き、膝を叩く人」という意味になることがわかりますが、この一文の中での意味が見えてきません。皆さんでしたら、「膝を叩く」ということから何を連想しますか。中国語母語話者の筆者は、knee-slapperから思わず中国語の“拍大腿(直訳:太もも(膝)を叩く)”を思い出し、そのイメージをknee-slapperの意味に重ねてしまいました。
“拍大腿”、つまり「膝を叩く」は中国語では、相手の言ったことに対し共感し、「そうだ、その通りだ」と合点がいく様子を表す語です。また、急に何らかのヒントでアイデアや考えが浮かんだときにも使われています。ただ、中国人が何かに賛同したり、急に考えが思い浮かんだりしたからといって必ず「膝を叩く」わけではありません。あくまで、“拍大腿”という語から、賛同やひらめきといった比喩的な意味を連想するにすぎません。中国語はこうなので、筆者はknee-slapperもきっと同じだと推測したところ、いざ辞書を調べると、見事に外れました。賛同やひらめきではなく、「膝を叩いて笑ってしまうほど面白い冗談やジョーク」という意味でした。つまり、英語では「膝を叩く」とは大笑いのたとえであり、日本語や中国語でいうところの「腹を抱えて笑う(“捧腹大笑”)」は、英語では「膝を叩いて笑う」となるのです。結局、上の英語の原文は、「ダンテの幻想的な叙事詩(『神曲』)は私が期待していたギャグの本ではなかった」という意味でした。筆者のこの勘違いから、「膝を叩く」ことに対して、英語と中国語とでイメージが異なることが見てとれます。
knee-slapperや“拍大腿”のように、比喩的な意味と結びつく動作は日、英、中語に限らず、かなり見られます。中国語の例をいくつか取り上げましょう。中国語では“拍大腿”のように、「動詞“拍”+身体部位」の表現がどういうわけか悉く、比喩的な意味をもっているような気がします。例えば、“拍胸脯”、“拍脑门”、“拍屁股”などです。“拍胸脯”は直訳すると「自分の胸を叩く」ですが、小説などにおいて「私に任せなさい」や「必ずやり遂げて見せます」という気概を表す表現として使われています。“拍脑门”は「自分のおでこを叩く」という動作ですが、「急に何かをひらめいたり、考えが浮かんだりする」際の仕草としされています。“拍屁股”は直訳すると「自分のお尻を叩く」という動作ですが、「やりかけたことを途中で放棄して、逃げ出す」ことのたとえとして用いられることが多いです。
ただ、こうした表現がもつ比喩的な意味は一つとは限らず、人によって違う意味のたとえとしても使用されています。実は、「ひらめきや納得」を表す“拍大腿”にも“乐得直拍大腿(膝を叩くほど大笑いした)”というような例が見られ、knee-slapperと偶然イメージが重なりました。動作からの連想は所詮イメージなので、人によりけりなところがあり、「この動作は必ずこういう意味」ということができないかもしれません。比喩的な意味をもつ動作の表現、なかなか難しいです。では、また次回お会いしましょう。
今回紹介した先生のコラムは『聴く中国語』2025年12月号に掲載しております。
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