中国語語学誌『聴く中国語』は毎月、日本で活躍している中国の有名人や日中友好に貢献している日本人にインタビューをしています。
今回は中国で最も人気のある日本人インフルエンサー、また著名なドキュメンタリー監督である竹内亮さんにインタビューしました。監督の新作『再会長江』や監督の目に映る中国について、お話を伺ってみましょう。
1978年生まれ、千葉出身。中国・南京在住。
ドキュメンタリー監督・番組プロデューサーとして、多くの映像制作を手かける。
テレビ東京『ガイヤの夜明け』『未来世紀ジパング』、NHK『世界遺産』『長江 天と地の大紀行』などを制作。
中国で絶大な人気を博す中国在住日本人の一人である。
―――竹内監督こんにちは。読者の皆さんにご挨拶いただけますでしょうか?
皆さんこんにちは!竹内亮です。中国の南京に住んでいる日本人です。ドキュメンタリー監督を務め、南京で個人メディアの会社を経営しています。よろしくお願いします。
―――近日東京で「竹内亮ドキュメンタリーウィーク(5月19日~25日)」を開催し、日本の皆さんに監督がこの2、3年で撮影された『再会長江』『大涼山』『おひさしぶり、武漢』などの作品をご紹介になるようですね。これらに作品を撮ろうと思った動機やきっかけ、作品の概要などについて教えていただけますか?
特に薦めたいのは『再会長江』です。『再会長江』は紀行ドキュメンタリーです。2021年から2023年まで、およそ2年の時間をかけて、6300キロにわたる長江沿いの風土や人情を撮影しました。長江の源はチベット高原に発するため、チベット高原から始まり、雲南、四川、重慶、湖南、湖北、江西、安徽、江蘇、上海(長江流域の重要都市)を全部撮影しました。
なぜ「再会」というタイトルかと言うと、12年前、2011年にNHKの長江のドキュメンタリーを撮影したことがあり、今回が2回目の長江の撮影だったからです。1つの川を通して、この10年間の中国の変化を表現したいと思いました。10年前に訪れた場所や撮影した人物のもとを再訪し、10年前に撮ったものと比較すると、その変化は明らかでした。皆さんにもこの作品を通して、中国の10年間の変化を理解していただけたら嬉しいです。
なぜこの映画を撮ろうと思ったのかと言うと、10年前の私はまだ中国語を話せなかったため、当時の作品に納得がいきませんでした。話を深堀することができなかったからです。当時は通訳に頼ってインタビューを行っていたので、深い内容には至らなかったのです。それから10年が経ち、私は中国語を話せるようになり、中国社会に対する理解も深まりました。ですので、今長江を撮れば、きっと10年前よりも良い作品を撮影できると思ったのです。
『ファーウェイ100面相』は、世界各国の華為の従業員の物語を撮影した作品です。二、三年前、アメリカが華為に対して制裁措置を発動し、私はそこではじめてファーウェイという会社の存在を知りました。中国の一通信会社が、なぜアメリカの制裁を受けたのか?好奇心が湧いてきました。悪い会社だと聞くけど、そのように言われるのを聞いているだけで、ファーウェイが一体何をしているのか皆わからないのです。なので、その自分の好奇心を満たすために撮影したのです。
『大涼山』も『再会長江』と同様に、私は10年前に一度撮影したことがあったので、10年経ってどのような変化があったのかを知りたかったのです。
あと、『お久しぶりです、武漢』。武漢は新型コロナウイルスが流行し始め、ロックダウンが行われた時、多くの日本人や海外の人々は武漢に対して偏見を持っていました。私は悔しかったのです。中国にいる日本人として、私は何度も武漢に行ったことがあって、武漢はすごくいい町だと感じていました。しかし、新型コロナウイルスが流行し始めた頃、日本人がテレビで知る武漢は全てネガティブなものでした。だから、私は本当の武漢を撮りたいと思ったのです。
この4つの作品の共通点は、本当の中国の一面を日本人や海外の人々に紹介したいという思いです。現在、欧米や日本のメディアは中国を罵り、悪く言うものがほとんどですよね。だからこそ、私は皆さんにそうでない中国を見せたいと思っています。
―――竹内監督が目にした中国人は、この10年間でどのような変化がありましたか?どのような変化が最も大きいですか?
考え方の変化でしょうね。10年前、私が中国に来たばかりのころは、伝統的な考え方がまだ残っていて、インターネットの技術もまだそこまで発展していませんでした。しかし、今はもう違っていて、すでに日本を超えています。インターネットの技術や環境など、多くの面で日本を超えました。そのため、インターネットの情報は中国の一般人の考え方に影響を与えるようになりました。
例えば、『再会長江』でチベット族のある家族を撮影したのですが、10年前に彼らを撮った際には、地元の人々は自由な恋愛を認めず、結婚はすべて両親が決めるものだと聞きました。しかし今は完全に変わりました。自由な恋愛をしてもいいし、両親の紹介もいらなくなりました。10年前、女の子が18歳になったら、両親が結婚の段取りをするというのは普通の事でした。今は30歳になっても結婚しなくてもいいし、生涯結婚しなくても大丈夫です。考え方が完全に開放されたのです。彼らは毎日TikTok、小紅書、微博を見て、外の世界の人はどのように暮らしているか、どのように結婚するかを全部知ったからです。インターネットが彼らに与える影響は本当に大きいです。
―――新型コロナウイルスの渦中にあって、この2、3年間、中国社会はどの面での変化が特に大きかったと思いますか?
より自分の身の回りや身近な生活を重んじ、今この時と自分の友人や家族をさらに大切にするようになったと思います。この変化は明らかです。以前は、海外に行って、自分の豪華な生活を人に見せびらかすのが特に好きでした。しかし、今は完全に変わって、ただ友人や身近な人を大切にするようになりました。
―――これらのドキュメンタリーを撮影している時、中国の一般人と多くの交流があったと思います。その中で、何か忘れられない、或いは興味深かったことなどありますでしょうか?
たくさんありますね。私はこの10年ずっと中国の各地歩き回っていたので。本当にたくさんの人と出会いました。
最も辛かったのは、中国に来る前のことですね。
2009年、まだ私は日本にいて、よくNHKで中国関連のドキュメンタリーを撮っていました。当時は日本から中国へ撮影しに行っていました。江蘇省の漣水というところで村の役人を務める若者の撮影があったのですが、その時は日本から多くの撮影スタッフを連れていき、お金もかなりかかりましたね。海外に行きましたから。ですが現場に着くと、どういうわけか、撮影させてもらえなかったのです!すでに調整も済んでいて、向こうも同意していたから、撮影チームを連れて行ったのに。私たちがその場に着いてから断るなんて、どういうことでしょうか?
本当にショックで崩れ落ちましたね。放送の日程もすでに決まっており、その日時に必ず放送しなければならないのに、私たちは撮影できない日が続いていました。そうやって一週間以上過ごしたと思います。いくつか風景を撮りましたが、番組は50分間あるのです。どうすればいいのでしょうか?この素材では一分間ももたない。後に、なぜ撮影させてもらえなかったのかわかりました。それは私が村の書記の方に挨拶していなかったため、それがその方の不興を買ってしまい、役人の若者も取材を受けないように言われていたのです。それで、放送の一週間ほど前に妻にお願いして、彼女は他の会社で仕事があったのですが、私のために休みを取ってもらいました。そして私たちは一緒に行き、妻は色々な人を説得し、やっと同意を得られ、撮影し、放送することができました。
中国の農村ではこんな感じなんだと思いましたね。道を通りたいなら、まず書記や村長とお酒を交わさなければならない。だから『再会長江』を撮影した時、基本的に何も問題がありませんでした。まずリーダーとお酒を飲んで、それから話をする――これが中国のお酒の文化でしょう。ですが今はもう不要になりました。時代が変わったので。80年代、90年代生まれの若い世代の方なら、基本的にこのようにする必要ありません。
―――監督は小紅書、Weibo、Wechatのチャンネル、BiliBiliなどのプラットフォームで、よくショート動画を更新されていますね。内容は日本を紹介するものが多く、テーマはとても面白いです。例えば日本の不動産価格、日本の高齢者の退職後の生活、日本の芸能界、日本の結婚の慣習など、どれも中国人はあまり知らないですが、興味を惹かれるテーマです。では反対に、日本の皆さんに向けてこのようなショート動画を作るお考えはありますか?
ありますよ。彼女(妻:赵萍)にもTikTokを始めると話をしました。中国の文化を日本に紹介したいと思っています。ドキュメンタリーではなくて、簡単なショート動画を通して。若い人たちはショート動画が好きですから、これを使って中国の楽しいことを紹介したいですね。
―――先日Weibo(中国SNS)のビックイベントに参加され、二つの賞(「動画アカウントトップ100」と「最も商業的価値を有する公式アカウント」)を受賞されましたね。さらに竹内監督は500万を超えるフォロワーがいて、中国のSNSで絶大な人気がありますね。では監督のご経験から 日中の視聴者の美意識やニーズにはどのような違いがあるとお考えですか?
かなり違いますね。中国のインターネットの発展するスピードは日本より速いので、その分入れ替わりも激しいです。一気に人気になったり、逆に人気がなくなったり。だからもし中国を一年間離れたら、全くついて行けなくなります。日本はそこまで速くはないので、一、二年離れるくらいは大丈夫でしょう。これが一番の違いでしょうね。
また、美意識についてですが、以前、中国人は見た目の良いものが好きでした。例えば「舌の上の中国」のような。でもこれはもうずっと前のことです。日本人はどちらかと言うと、リアルな映像が好きで、作られた美しさはそんなに求めていません。中国では、美しければ美しいほど、綺麗であればあるほど良いのです。色については、日本人は淡い色が好きですが、中国人はどちらかと言うと鮮やかな色が好きですね。
あと編集のリズムもとても速いですね。中国は早いです。たったの一秒で、字幕も映像も、編集は一秒で終わってしまう。日本はまだそれほどはやくなく、もう少しゆっくりです。
―――監督はよく中日のネットユーザーから誤解を抱かれると仰っていますね。例えばスパイ、売国奴、拝金主義監督などと言うものがあります。日中平和友好条約締結45周年の本年、中日友好、中日の相互理解に多大な貢献をされている竹内監督は、これらの言論に対して何か言いたいことはありますか。
そういったものは気にしません。中国だけでなく、日本、全世界にインターネットで色々言ってくる人はいます。もし彼らの事を気にしてしまえば、やっていけません。この点、私は本当に日本人らしくないと思います。日本人は常に人からどう見られているか気にして、他人に迷惑は掛けたくないと思いますよね。私は小さい頃からこういうものを気にしないんです。だからインターネットで色々言われても、それはどうでもいいです。
しかし影響を受けてしまう人もいますね。インターネットで人気になり始めたばかりの人とかは。私の友人はこういうネットの気持ち悪いコメントのせいで、活動をやめてしまいました。ショックが大きすぎたのです。私はこういう(ネットで人を攻撃する)人たちが大嫌いです。
あと、さきほど仰る通り、今年は『日中平和友好条約』締結45周年ではないでしょうか?この条約は何月何日に実行開始となったかご存知ですか?78年10月23日です。(この日は…?)私の誕生日です(笑)。私の生まれた日に、当時の鄧小平副主席が日本に来て、当時の福田前首相とハグしていました。(つまり、我々が日中平和友好条約締結45周年をお祝う際は、監督の45歳生誕も祝っていますね)そうですね(笑)。
―――竹内監督のドキュメンタリーは非常に生き生きと興味深く今の中国社会や中国人の様子を映し出していて、日本では多くの大学教授が授業で監督のドキュメンタリーを見せています。(本当にありがとうございます。)監督の作品は多くの日本人に中国のリアルで生き生きとした一面を見せ、また中国の視聴者にも自分の国の気づいていなかった一面を見せています。これは外国人監督だから成し得ることかもしれませんね。そこでお聞きしたいのが、竹内監督はどのような視点から中国を見ているのでしょうか?きっと独特な視点をお持ちではないかと思います。
中国と中国人が好きという視点ですね。
もし中国のことが嫌いだったら、中国人が嫌いという視点で撮影したら、撮れるのはきっとネガティブなものでしょう。人それぞれ視点は異なりますよね。私が選んだのは「好き」という視点です。もし私が取材相手のことが好きで、相手の文化が好きなら、相手も私にリアルで良いものを見せてくれるでしょう。もし私が嫌いだったら、きっと構えられて、リアルな一面はみせてもらえない。もし私が本当に好きだったら、相手の警戒心もなくなり、私にリアルな一面を見せてくれるはずです。
武漢を撮影した際、「あなたの撮る武漢はなぜこんなにリアルなのか?」とよく聞かれました。私ももし日本のテレビ局が武漢に撮影しに行ったら、こんなにリアルなものは撮れないと思います。向こうも日本のメディアがよく中国の事を悪く言うのをわかっていますから。もし自分のことを悪く言う人が取材に来たら、警戒心を持ち、本音も話さないでしょう。しかし私が行くと、「竹内亮?作品見たことあるよ。好きだよ。協力するよ。何が聞きたい?真面目に答えますよ」と言ってくれます。
―――では竹内監督がドキュメンタリーを撮る時、何か堅く守っているものありますでしょうか?
「嘘をつかない」ことです。
大げさに言うことはあっても、嘘はつかない、絶対に。これは最も基本的なドキュメンタリーの原則だと思います。もしドキュメンタリーで嘘をついたら、もうドキュメンタリーとは言えないです。他は楽しければそれでいいのですが。他のドキュメンタリーの人たちから、「どうしてドキュメンタリー監督が(作品に)登場するんだ?これはドキュメンタリーと言えない」と言われることもあります。こんなルールはないですよね。私はこういうルールは好きじゃありません。嘘さえつかなければオッケーです。
―――監督と奥様(赵萍夫人)は中日の国際結婚をされており、最近息子さん(赵純さん)と一緒に「日本縦断の旅」シリーズの作品を作られましたね。監督はこのような異文化の家庭生活で、なにか面白いカルチャーショックなどありましたか?
教育でしょう。私と妻の意見が一番食い違うのは教育です。今はありませんが、息子の趙純が中国で学校に通っていた時、妻とよく喧嘩をしましたね。教育理念が違いますから。私は、ただ子供に毎日楽しく過ごしてほしいと思っていますが、これは中国の教育では許されることではありません。しっかり勉強して、宿題をしなければいけない。
だから当時、妻も息子にあんまりプレッシャーを掛けたくなかったとは思うのですが、その環境に合わせざるを得なくなって、毎日息子に無理やり勉強させていて、そのことで喧嘩をしました。
その後、息子は完全に勉強することを拒むようになりました。それで私たちは息子を日本へ連れていき、日本の中華学校に通わせることにしたのです。すると息子は変わりましたね。明るくなりました。相変わらず勉強は嫌いですが、状態が全く違います。今は本当にいい感じです。
―――このシリーズ動画に関して、監督はどうしてこの作品をつくろうと思ったのですか?
私が中国に移住した根本的な理由がこれだったからです。日本の文化を中国人に伝えたいのです。今やっていることはその反対で、中国の文化を日本に伝えていますが、どちらもやりたいと思っています。日本の文化を中国人に紹介し、中国の文化を日本人に紹介したいですね。だから(この作品を撮るのは)初心を忘れないためでしょう。新型コロナウイルスのこの三年間、私は基本的にずっと中国を撮影し、中国の文化を海外に伝える、という仕事を沢山しました。ですので、バランスを取るためにも、日本の文化を中国人に紹介したいと思って、この作品(「日本縦断の旅」)に取り掛かりました。
それで今年は本当に「縦断」することになります。7月1日から撮影開始し、8月末まで、2か月掛けて、北海道から沖縄まで、日本を本当に縦断します。
―――監督は中国で10年間過ごし、中国語もかなり上達しましたよね。『聴く中国語』の読者の皆さんに、監督の中国語学習のご経験をシェアしていただけませんか?
読者の皆さんはおいくつでしょうか?若い人も、年長の方もいらっしゃるかと思います。皆さんを勇気づけられるような話を一つしたいと思います。私は34歳から中国語を勉強し始めました。今44歳で、もうすぐ45歳になりますが、34歳でゼロから中国語を学び始めても、このくらいのレベルまで達することができるのです。これはきっと皆さんを勇気づけられる話でしょう。多くの人が、言語は若いときに学ばなければならないと言いますが、必ずしもそうではないでしょう。私の中国語は35歳の時まったく流暢ではなく、38歳の時も今ほど話せませんでした。40歳、42歳と、少しずつ上達して、今の私の中国語は10年前と比べてかなり上手になったと思います。ですがこれは、すぐに上達したわけではなく、本当に少しずつです。
ですから皆さん、もし中国語が上手くなりたいのなら、早く中国にお越しください。1、2回来るだけではダメですよ。少なくとも3か月くらい、住まなければいけないです。私が学校で学んだ時間は3か月でしたから。南京大学の語学クラスで3か月だけ学びました。その後は全て自分で学びました。ドラマを毎日観ましたね。大体1時間のドラマを、6時間かけて観ていました。分からない言葉が聴こえたら、すぐに止めて調べて、繰り返し観るのです。当時は毎日10時間以上勉強していましたね。ですから皆さん、諦めないでくださいね。「年をとった」とか言い訳をしてはいけませんよ。
まず竹内亮の映画をご覧になって、映画から勉強してみてください。これはとてもいい中国語学習の方法だと思います。
今回のインタビュー内容は月刊中国語学習誌『聴く中国語』2023年9月号に掲載されています。さらにチェックしてみたい方は、ぜひ『聴く中国語』2023年9月号をご覧ください。
竹内亮監督の独占インタビューを愛言社YouTubeにて公開中
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