中国に興味があって行ってみたいけれど、なんとなく「怖いかな?」とか「やっぱり中国語できないとダメ?」と思い悩んでいるあなたの背中をえいっと押すきっかけになれば…。「中国語はそんなに得意ではないが興味だけはあった」アラサー日本人女性が、中国に出会い、七転八倒して過ごした北京での思い出を綴ります。
■「飛び込め北京」シリーズを読む

私は北京に住んでいる間、実は引っ越しを繰り返していました。数えてみたところ、引っ越し回数なんと9回、計10部屋に住みました(笑)!
なぜそんなに引っ越しをしたのか、その理由とそれぞれどんな部屋だったのかなど、なかなか見えない北京の住まい事情を、ここではざっくばらんにお話ししたいと思います。
引っ越しの理由はそれぞれ

私が渡航した2007年といえば、2008年北京オリンピック前のバブル景気まっただ中。当時は特に家賃の上昇が激しく、引っ越しの主な理由になっていました。そのほかにも、貸主(业主)都合での退去や大家さん(房东)や担当する不動産スタッフとの相性が悪い、職住近接回帰、ルームシェア相手の転居に自分の結婚、子育てなど、毎回異なる理由がありました。
北京は引っ越ししやすい
部屋探しは日本と同じ
北京での部屋探しの方法は基本的に日本と同じです。
まずネットで検索し、管理をしている不動産仲介会社に足を運び、希望する部屋や周辺の物件を数件見せてもらい、気に入った部屋を契約します。賃貸物件(租房)の豊富な北京の店舗型不動産仲介会社は「我愛我家」「鏈家」「麦田房産」「21世紀不動産」など様々。中には中国人経由で紹介してもらうパターンもありました。現在は、さらにウェブだけの不動産仲介会社「自如」や、不動産情報掲載サイト「安居客」もあるようで、探し方は多様化しているようです。
物件によって様々ですが、住みたい部屋が決まったら、不動産仲介会社で賃貸契約(租赁合同)を交わし、敷金(押金)と仲介料(中介费)、家賃(租金)を払います。家賃は最初の数カ月分前倒しで払います。(例・押一付三は、1か月分の敷金+3か月分の家賃前払い)。そして、家賃は交渉可能。入居時に追加で取り付けてほしい家具や家電などを大家さんに伝える事も、この時に行います。しっかり頑張りましょう!

引越し費用が格安
北京での引っ越し(搬家)が比較的簡単なのは、家具や家電が備え付けであることが多く、自分の荷物といえば衣類や書籍、簡単な食器類くらいだからです。かかる費用も引っ越し代だけで済みます。そのうえ引っ越し代はとても安く、5〜6人のスタッフとトラック付きで1万円前後(日本なら一人分の人件費ですね…)。電話一本できてくれます。
ただし経験上、貴重品は自分で運ぶのがおすすめです。混乱の中で盗まれたり壊されたりすることがあるからです。代わりに、不用品は無料回収してくれるので、引っ越しの際に頼むとよいです。(あるいは、不用品をゴミ捨て場に置いておくだけで、そのへんのおばちゃんがキレイに回収?してくれます…)

足りないものは宜家家居で買う
家具は部屋に備え付けてあるけれど、布団やベッドカバー、ライトや食器などの細々としたものは借り主持ち。そういう時に便利なのがIKEA(宜家家居)です。東四環沿い・四元橋付近にあり、朝陽区に住んでいる日本人にとってはタクシーで気軽に通える、とても身近な店舗でした。その他にも、花市場で大きなグリーンを買ったりして、自分好みの部屋にカスタマイズできます。2015年頃からはネット販売も活発化してきたので、私もオンラインショッピングモール「淘宝」で毛布やタオル、花瓶に食器などを買って北京生活を楽しんでいました。

歴代の住まい紹介
それでは、私がこれまでに住んだ部屋の特徴と家賃、エピソードなどを振り返ってみたいと思います。
【華威橋】龍頭公寓(約1週間)

初めての北京生活は、会社が用意してくれたホテル暮らしからスタート。日本語対応あり、広いバスタブも完備され、まるで日本の高級ホテルのようでした。ただ、会社から少し遠く、当時は地下鉄も通っておらずタクシー通勤のみ。渡航初期は毎日必死に仕事に向き合い、寝るためだけに帰る日々だったため、あまり満喫できませんでした涙。(間取り:広いワンルーム 家賃:会社持ち)


【百子湾路】后現代城(1年)

最初に住んだのは、会社の総務スタッフと一緒に探したマンション。会社から近く、同僚も同じエリアに住んでいる安心感がありました。全体的に広くてベッドもキングサイズで快適。近隣にスーパーやドミノピザ、ネイル屋に靴も直してくれるクリーニング屋、暖気(中国北方の冬の集中暖房システム)の効きも良く、全てが快適でした。ですが、問題は大家。合鍵で勝手に入ってきたり、土足で部屋に上がってきたり、会社にも突撃してきたり…。1年で家賃が上がると言われ、ガメつい大家と関わるのが嫌になったのと、この満ち足りた周辺環境に味気なさも感じ始め(早いw)、退去を決意。ここから、私の「北京引っ越し人生」が始まりました。(間取り:1LDK・60平米程度 家賃:2,800元)

【酒仙橋】友達の家の一部屋(1ヶ月)

次に住んだのは、仕事で知り合った日本人の友人の部屋。日本帰国する同僚の部屋に引っ越すまでの一時避難場所としてでした。エレベーターなしの低層階で、窓のない一室を間借り。まさに寝るだけの生活でしたが、初めてのローカルな暮らしを体験しました。(間取り:2DKの1部屋 家賃:友人に1000元を渡す)
【東直門】ボロ小区(3ヶ月)


続いて住んだのは、本帰国する同僚Kから引き継いだ部屋。東直門駅徒歩5分という好立地で、家賃も破格でしたが、部屋は薄暗く奥まで進入する勇気の出ない部屋(どゆことw)、さらに入居1週間で水漏れも発生。あの黒い虫もいてw、とにかく心落ち着かない部屋でした。当時は、周りの中国人からも「そこは風水が良くない!」などと心配されるほど、ゲッソリとやつれていたようです。結局、大家都合で急な退去を命じられ、ジ・エンドでした。(間取り:1DK 家賃:1,700元)

【雍和宮】ローカル小区(2年)

最も思い出深い部屋がここ、雍和宮のマンションです。孔子廟と地壇公園が望める8階の部屋で、レトロな内装も気に入っていました。何かあるとすぐかけつけてくれるとにかく優しい大家さん、地元住民との交流、エレベーターを管理するエレベーターおばちゃんからは、どこから入手したのか日本の味噌やお土産をいただくことも。便利なスーパーはないけれど、社区の下の青空市では野菜や果物が格安で買え、寒い日には凍った川の上を歩く人々を窓から眺めていました。
ただ、会社から遠くなり家事の時間が十分に取れなくなったので、大家さんにお願いし不在時にお手伝いさん(阿姨)を初めて雇いました(とても格安で…)。また、24時を過ぎるとエレベーターに鍵がかかり、階段を登らなければならないのと、二面採光で風通しが良すぎるためか、暖気の効きも悪かったのが難点でした。(間取り:2DK 家賃:2,600元)



【大望路】藍堡公寓(2年)

この頃、営業部から編集部に異動することになり再び忙しくなったため、会社の近くに戻り友人とルームシェアをはじめました。朝の時間に余裕ができ、なにもない夜は家で中国のテレビを観るゆとりさえ生まれました。ヨガさえ習い始めました。やはり職場と近い住居では仕事後の余裕が違います。ただ、都心部のため部屋が狭いのに家具が大きくて生活しづらく、ガラス製のテーブルなどの家具も私の好みではありませんでした。(間取り:1LDK 家賃:2,600元※一人当たり)

【百子湾路】后現代城・再び(1年)

広く開放的なリビングに惹かれ、再び后现代城に戻ってきました。26階と高層階だったので夜景が綺麗で、同僚や友人達とパーティーも開催したほど。ただ、コンセント故障による停電や、壁の剥がれ、暖気の故障など多くのトラブルに見舞われ、さらに一緒にルームシェアしていた友人が上海勤務になり、広い部屋を持て余すので私も引っ越すことに。退去の際、不動産屋と押金をめぐってトラブルがあり、泣き寝入りすることに…。(間取り:2LDK 家賃:2,800元※一人当たり)



【百子湾路】易購空間(2年)

約3年ぶりの一人暮らしは、后現代城横のマンション5階。会社により近くなり、間取りも内装も大家さんも程よく、1階には私の好きな小卖部もあり、落ち着いて暮らしていたのですが、なんと強盗に入られるという事件が発生。持ち合わせの現金と一眼レフが盗まれました。警察に通報し現場検証しましたが、結局犯人は見つからずまたも泣き寝入りすることに…。その後も懲りずに住み続けていたのですが、この頃、結婚・妊娠と生活が大きく変化し、子どものために広い部屋に移ることになりました。(間取り:1DK 家賃:3800元)


【青年路】青年彙家园(2年)

子育てに適した広い部屋を求めて、はじめて東四環外へ。明るく快適な部屋で、近くにトイザらスや丸亀製麺、プレイルーム等の入るイオンモールのような施設もあり、生活や子育てにも不自由しませんでした。子どもが少し大きくなり見守りに手がかかるようになった頃には、週2回、掃除や洗濯をしてもらうお手伝いさん(阿姨)を雇いました。子どもが幼稚園に上がる頃、幼稚園が近くにないことが発覚し、毎日の登園を考え、次の部屋を探すことにしました。(間取り:広めの1LDK 家賃:5600元)



【紅庙】華業国際公寓(2年半)

最後に住んでいたのは、子どもを通わせることになった幼稚園に近接したSOHOタイプのマンション。受付・守衛付きで、1階には巨大スーパー・カルフール(家乐福)やおしゃれなカフェも近くにあって便利な上、欧米式の浅めのバスタブもあり、ホテルのような室内でした。2019年末にいつものように一時帰国したあと、まさかそのまま戻れなくなるとは…。荷物を残したままコロナ禍に突入し、2021年夏にリモート引っ越しをすることになりました。(間取り:広めの1ルーム 家賃:7000元)


まとめ

北京の住まいは、東京の一人暮らしに比べて全体的に広々としていて快適でした(最小でも45~60平米)。とはいえ、家賃は年々高騰し、中心部には住みにくくなっていきました。
どの部屋にも思い出がありますが、やはり雍和宮の部屋が一番心に残っています。この時の大家さんには本当によくしていただいて、私より少し年下のお嬢さんも含めたご家族ぐるみでのお付き合いとなり、頤和園に連れて行ってくれたり、ご飯を御馳走になったこともありました。引っ越した後に関係がなくなるのが名残惜しくて、私が引っ越すことになった後、日本人の友人を紹介して住まわせたほどですw。
北京での暮らしは、色々と大変なことも多かったけど、それと同じ位、素敵な思い出もたくさんできました。北京という大都市に振り回されながらも、たくさんの人と出会い、たくさんの部屋で暮らしてきた13年。今振り返ってもよくやったな~と、我ながら誇らしい気持ちになります。
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