飛び込め北京~編集部員Tの悲喜交交北京生活13年~⑤北京生活一年生(銀行開設・携帯購入・部屋探し)

飛び込め北京

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2007年2月25日夕方、私は初めての北京首都国際空港に降り立ちました。

空港に迎えが来た初日

その日は、なんと日本人スタッフのMさんが空港まで迎えに来てくださり、そのままタクシーに乗せられ歓迎会場へ連れて行かれました。記憶が曖昧ですが、老北京が感じられる胡同の提灯が赤く灯る空間で大勢に囲まれ火鍋を食べた記憶があります。

その日は本社の上層部が来京した時のために借りている日系ホテルで休みました。

部屋が決まるまでの1週間、快適に過ごしました

渡航二日目に初出勤

翌朝。またМさんが迎えに来てくださり、タクシーで一緒に会社に向かいました。この先輩には部屋が決まるまでの1週間、執事のように送り迎えをしてもらい大変助けられました。

Мさんありがとうございました。御恩は忘れません

タクシーの車窓から見える景色は、冬の北京の朝の風景。電動バイクやトゥクトゥクの交差する忙しない朝の通りを見ながら「ああ、本当に来てしまったのだ」とワクワクが止まりませんでした。

自己紹介で早速やらかす

会社に出社すると早速朝会があり、もちろん私が自己紹介をすることに。3,40人前後のスタッフを前に、拙い中国語で自己紹介した記憶があります。

会社は北京市朝陽区のCBDエリア(中心業務地区)にあるオフィスビルに入っていました
北京ビジネス中心区(Beijing Central Business District、略称CBD)は、北京市朝陽区の重要な商業エリア。西は東大橋路、東は東四環、南は通惠河、北は朝陽北路に囲まれ、国内外の大手企業が多数ここにオフィスを構える

しかし、質問タイムで早速ミスりました汗。

当時、中国の食文化の地域差を理解していなかったので、中国の好きな食べ物を聞かれ「小籠包です」と言うと、微妙な反応をされたのを覚えていますw

北京は小籠包ではなく餃子文化。テストにでるよ!(キリッ)

中国の銀行口座開設

オフィスの各エリアを一通り紹介してもらった後、総務部の張さん(北京出身)に連れられて銀行口座開設に。オフィスの入るビルの1階の中国建設銀行で行いました。

詳しい記憶は曖昧ですが、パスポートを持参し処理してもらい、キャッシュカードを作ってもらいました。(通帳はないとのことでした。)帰り際に外のATMで人民元の引き出し方を教えてもらいました。中国のATMはビルの外にあります。

なかなかの野ざらしっぷりに驚愕。大金おろすの怖い~

さらに、昼になると営業部長の冷さんに路地裏の新疆料理店に連れて行かれ、「日本ではダメでも中国では昼から飲んでもいいからね」と、羊肉串片手に啤酒をいただきました。冷さんは神戸大学に留学していた面白い東北人で、関西弁交じりの日本語と巻き舌の激しい普通话を交えて、私の中国語レベルと飲酒レベルをチェックしている感じでしたw

画像を探し出せず別の店ですがこんな感じの店でした

中国の携帯電話購入

食後は近くの電気屋に連れて行かれ、中国の携帯電話購入です。

まず、そのへんの路上にあるキヨスクみたいなショップで、SIMカードを購入します。SIMカードはカードの中に入っていて、まるでおもちゃのようですが、もし携帯を紛失した場合の再発行のためにもこのカード自体をなくしてはだめとのことで、財布に入れておくように言われました。

SIM部分だけ切り取って携帯に差し込み、残りのカードを財布に保管します

次に、近所の電気屋さんに向かい、日本では見たことのないスライドタイプの白い携帯を購入しました。電気屋さんは、まるで日本のビックカメラのような内装ではありますが、ショーケース内で昼食を食べていたりと店員さんのなかなかのマイペースぶりが圧倒的に違う点です。購入の際も冷さんが店員と交渉してくれました。

最初の携帯はオフィスの隣の大中電器で購入

北京でマンション探し

さらに翌日から、総務部の安さん(黒龍江省出身)に連れられ、部屋探しへ。地の利もなく最初はどこに住めばよいか不明なため、会社からも近く、多くの日本人スタッフが住んでいるマンション群一帯で探すことに決め、その一角に入る不動産屋に足を運び、数日かけて何部屋か見させてもらいました。決めたのは、南向きの50㎡位の広めの1LDK、家賃2,800元(当時のレートで確か4万円台前半!)の部屋でした。家具家電備え付けです。

巨大なマンション群で、多くの日本人スタッフや外国人、中国人も住んでいました
イメージ画像ですがまさにこの間取り。玄関開けたらリビングダイニングで、右がベッドルーム、左奥が台所、冷蔵庫の後ろの空間にバスルーム
こちらもイメージ写真。ベッドルームの間取り。阳台があり白い部屋でした

新居への荷物運搬と生活必需品購入

部屋が決まると、休日に中国人スタッフの柯さんが自家用車を出してくれ、数人の日中スタッフが荷物を運ぶのを手伝ってくれました。マンションの中に生活用品全般を売っているスーパー京客隆で一通り揃うほか、近くの沃尔玛(米国系のスーパー「ウォルマート」)にも連れて行ってもらい、布団などの生活必需品購入にも付き合ってもらいました。

何かと便利だった北京のスーパー「京客隆」。2025年現在、当時の店舗はないようだ

このように、北京生活のスタートは、同僚の皆さんに大変助けられました。当時の記憶を思い出しながら書き出すと、私はとても恵まれた北京生活をスタートさせてもらったんだな…と胸が熱くなります。(のちに先輩から聞いたところ、なかなかの鳴り物入りで入ってきたためケアが手厚かったとのこと)皆さま、その節はありがとうございました。

異国の地では、様々な人の手を借りなければ立ち行かないという厳しさがある反面、人々の距離の近さや親切さに東京での生活との大きな違いを感じ、驚きや感謝など様々な思いが交錯する新生活のはじまりでした。

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