大家好!今回は、最近私が大学で中国語を学んでいる学生さんから頂いた質問をもとに、中国語と日本語の違いについて考えてみたいと思います。
ある日の授業後、学生さんからこんな質問がありました。
「この教科書では、「こども」の意味を表す単語が、“小孩儿”と“孩子”の2つあるんですが、どう違うんですか。どう使い分けられていますか。」
正直、新鮮でした。私は一度も疑問に思ったことがありません。“小孩儿”と“孩子”を区別して使っている認識もなかったのです。ゆえにこの質問はとても興味深く感じました。一瞬、北方と南方の言い方の差異かなとも安易に考えましたが、実際にそれぞれが使われている例文を見ると、どうやら両者の意味に明確な違いがあることに気づきました。
皆さんも、次の2つの文を中国語に訳しながら、“小孩儿”と“孩子”の違いについて考えてみてください。
①公園にたくさんのこどもがいます。
②今日は誰がこどもを迎えに行きますか(こどもの送り迎えについて話し合う場面)。
①と②は日本語では同じ「こども」でも、中国語では“小孩儿”か“孩子”と文脈によって言い方が変わります。いかがでしょうか。
正解は、
①公园里有很多小孩儿。
②今天谁去接孩子?
一方、これを逆にした言い方(公园里有很多孩子。/今天谁去接小孩儿?)も間違いとはいえません。但し、“今天谁去接小孩儿?”は、“今天谁去接孩子?”に比べて、「自分のこどもではなく、誰かのお子さんを代わりに迎えに行く、また、大人のほうではなく、お子さんのほうを迎えに行く」というニュアンスを感じてしまいます。
要するに、“孩子”は「だれかの子供」を指すことが多いです。これに対し、“小孩儿”の方は、「大人・成人」と相対する概念の「子供」の総称として使われることが多いです。
例えば、
・こどもの遊び場:“小孩儿玩儿的地方”
・こどもが好きな食べ物:“小孩儿喜欢吃的东西”。
一方、「こどもを産む」、「こどもを育てる」などの場合、逆に“小孩儿”ではなく、“孩子”が用いられることが多いです。
・こどもを産む:生孩子
・こどもを育てる:带孩子
余談ですが、動詞“带”といえば、「持ち歩く」や「連れて行く」の意味がメインですが、意外と「世話をする、面倒を見る」を表すことも多いです。例えば、“带学生”(学生を指導する)」、“把孩子带大(こどもを育てる)”などにおける“带”は「育成する、養育する」という意味です。「肌身離さずに、常に持ち歩く」が“带”の本来の意味ならば、その「常に行動を共にし、寄り添う」イメージが、こどもや学生の育成と重なり、「育てる」の意味が生じたのかもしれません。教育とは寄り添うこと、動詞の意味にこんな知恵が隠れていたとは。中国語は深いですね。
ここまで“小孩儿”と“孩子”の違いについてお話しましたが、両者の違いはあくまで用法上の「傾向」であり、絶対的なものではありません。中国は広いので、各地域に「〜式標準語」というものがあり、ことばの使い分けも多種多様なはずです。両者を同じように使用している母語話者もいると思います。以上の分析は、一母語話者である筆者自身の中国語の感覚に基づいたものとなります。
最後に仕上げの問題です。下線部の「こども」の意味の違いに注意して中国語に訳してみましょう。
Q:「私はこどもが二人おります。二人ともすでに成人し、結婚していますが、どっちもまだこどもがいません。私はこどもが好きなので、早く孫の顔が見たいです。」
解答例はページの下にあります。いかがでしょうか。「こども」の意味を区別しつつ、全体を中国語にするのはやはり難しいですね。
筆者からすれば、自分が意識もせずに使ってきた2つの似通ったことばに、実はこんな面白い区別があったことを気づかせてくれた学習者の質問がすごくありがたいです。中国語を学ぶ学習者の方が、母語話者よりも中国語の本質に気づけるということを、あらためて確信させられました。皆さんも、加油!
Qの解答例:
我有两个孩子。两个人都成年了,也都已经结婚了。可是他们都还没有孩子。我喜欢小孩儿,想快点儿抱孙子。
今回紹介した先生のコラムは『聴く中国語』2024年11月号に掲載しております。
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