『聴く中国語』2023年4月号より、日本語教師・金子広幸さんのコラム「日本語教師から見た中国語」を連載しています。
今回はのテーマは「中国語もお隣を覗いています」です。
不思議な外来語
その昔、日本語世界と中国語世界に「RADIO」という物が到来したとき、どのように吸収されたでしょうか。
日本語世界では最初は「受信機」と言っていたそうです。でもこの字面が硬い表現に、日本人は違和感があったのか、やがてカタカナことばで「ラジオ」(当時はラヂオでした)と言うようになりました。
では中国語世界はと言うと“收音机”と言う言い方で定着して、その後もこのように意訳していく外来語の取り入れ方が定着しました。“电脑”“电视”など、日本人も喜ぶ表現が中国語世界の中にありますね。
そして、外来語として中国語に輸入された日本語もあります。「経済」「共和国」など、概念語として日本語から輸入されたものです。
中国語にも、日本語のように外国語の発音をできるだけ真似て取り入れる音訳の方法もありました。“汉堡”“麦克风”などがそれにあたります。ただ私たち日本人にとって苦しいのは、時々とても発音がかけ離れていて、わかりにくいものがあることです。広東語経由で中国語世界に広まっていった外来語は、発音を切り替えていく段階で全く異なるものになったらしく、 “麦当劳”、“百老汇”、“堂吉诃德”など、本来の発音からかけ離れてしまったものも多く見られます。(それぞれお馴染みの「マクドナルド」とミュージカルの「ブロードウェイ」、「ドンキホーテ」です)。
忘れてならないのは、日本語学習者たちもカタカナの言葉に困っているということです。普段英語を流暢に話せる留学生は特に、日本語の中に取り込まれた英語の発音を下敷きにしたカタカナの言葉に慣れず、その部分だけ妙に英語っぽい発音になって日本人に聞き直されたりしています。また、私が「マクドナルド」と言ったりすると、学生たちに爆笑されたりしますよ。そんなときには「これは日本語の言葉です!」と言ったりしていますが。
相手の言葉で相手を理解
私は日本語母語話者ですから、日本語の立場から中国語を眺めています。周囲の中国語使用者も、自分の立場から日本語を客観的に眺めていて、中国語の世界と日本語の世界が少しずつ食い違っていることに気づいています。
特に、中国語で詳細に述べようとした時、日本語に表現が足りないと感じると、私たちに質問を投げかけてきます。考えればこれは当たり前ですね。本当に言いたいことを正しい表現で言いたいのは人類共通の欲望ですから。
「かねこせんせい、“好听的好歌”は日本語で何ですか?」とか「“好闻的味道”は日本語で何ですか?」などと言う質問を、学習者に投げかけられます。…難しいですね。 日本語と中国語、お互いの言語の知識があれば、概念はよくわかるんですが、言葉としての表現は「いい歌」「いい匂い」としか言えないんです。
この記事の編集担当の謝辰さんと話している時も、いろいろな例が出ました。日本語の「怖い」にあたる言葉は、中国語では“可怕”だけだと思っていると、実は“可怕”なものを見て「怖い」と感じることを“害怕”と言うんですよね?“看到可怕的东西,会感到害怕。”などと。
こんな時、日本語教師としてはどうしているか、ですが、お互いが持っているイメージを、時間の許す限り丁寧に話し合って、適切な表現を選ぶことにしています。教師だからと言って「日本語ではこうだから!」と押し付けたりしません。日本語がまだおぼつかなくても、その人が持っているイメージを丁寧に引き出して、学習者と教授者双方で表現を探していきます。
本コラムは、月刊中国語学習誌『聴く中国語』2023年10月号に掲載されています。さらにチェックしてみたい方は、ぜひ『聴く中国語』2023年10月号をご覧ください。
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