飛び込め北京~編集部員Tの悲喜交交北京生活13年~②初めての中国旅でどっぷりハマる

中国文化

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飛び込め北京~編集部員Tの悲喜交交北京生活13年~①私と中国との出会い

多感な時期を色々なことに熱中し、中国のことをすっかり忘れた私は、大学に進みます。

それは、芸術大学で版画を専攻し、自分の作品を作らなければ!と鬱々と焦っていた大学三年生のある夜でした。悠久の大河、黄河でなんだかとても大変そうに痩せた男の人が泳いでいる夢を見ました。なぜ黄河だと思ったのか?黄色い大地と砂っぽい景色だったからでしょう。それとも、平山郁夫先生の絵画でも記憶に残っていたか、あるいは現実逃避か。今思えば、そんなところだったんだと思います。

実際の黄河では、皆さん、泳がずイカダに乗ってます

しかし当時の私は、その夢を見て、この人を助けに今中国に行かねば!と強烈な思いに駆り立てられます。(ええ、だいぶヤバいですねw)。当時はパスポートも持っていない海外渡航歴のない身。まずはパスポートを取得して、次に周りにも詳しそうな人がいなかったので、確か旅行代理店に行き、ホテルと航空券がパックになったフリーツアーに申し込みました。それはすごいスピードでした。思い立つと早いのです。

申し込んだのは北京・上海・西安9泊10日間の旅だったでしょうか。長期休暇にアルバイトを大量にぶちこんでお金を貯め、期日までに入金。ですが、そのツアーは定員が集まらず中止となりました。

他の手段で行くことも考えたのですが、まあご縁がなかったのか…と、当時は中国への想いを割とあっさり諦め、現実に戻って卒業制作にいそしみ大学を卒業しました。(まあ動機が夢だったのでね)

その後、就職した先で忙しく働きしばらく経った頃、同僚から、ふいに中国旅行に誘われます。

他の国だったら断っていたと思いますが、ずっと気になっていた中国だったため二つ返事で快諾しました。ありがとう当時の同僚!中国に行きたかったことを思い出させてくれて…。

そして2004年末。私はついに中国行きの飛行機に乗りこみました。

最初に降り立ったのは大都会・広州でした。

ここでは、広州空港から中山記念堂に向かう道路が大渋滞だったことを覚えています。そこで車から車道に出てくる中国人の多いこと。遥か前方で交通事故があったようで、たしかに車はずっと止まっているけれど、日本の道路ではこんなに人々が自由に出入りするのを見たことはありませんでした。

さらに、皆一様に顔立ちは日本人と大差ないように見えるのですが、全体的にモッサリと埃っぽく、携帯片手に大声で話すのはもちろん当時わけのわからない中国語。そして、その携帯はNokia!皆が皆、同じような小さくて四角いピッチのようなもので話していました。

流石にここまで詰まってなかったけど、人々が多数出てのんびりしている光景に文化の違いを感じずにはおられず…

道中の車窓から見えた広州駅は、日本では見たことのないくらいの大量のひと山でごった返し、中にはアフリカ系の人々の姿も多く見えました。

実際、2008年の春运の際、広州駅で人が踏まれて亡くなる事故が起こったようです

そして現地のセブンイレブンに立ち寄ると、店内に立ち込める湯気は、おでんのようなおでんじゃないもの!完全ローカル化した食品ではないですか。強烈な匂いにおののいていると、店内が何やら騒がしくなってきました。見ると、店内で人が捕まっているではありませんか!万引きだったのでしょうか。罪の割に本当にお縄頂戴の格好で逮捕のやり方が激しい気もしました。

今思えば麻辣湯だったのかも。香辛料の強烈な匂いが狭い店内を埋め尽くす…
本当にこんな感じ。眼前の出来事で焦りました

初めて降り立った中国の初めて入ったコンビニで早速中国のダークサイドを垣間見るなんて、本当に想像が追いつきません(笑)。予定時間を大幅に押してしまったため、中山記念堂はササッと見て、飲茶で有名な店で点心を食べて一泊しました。

翌日は桂林へ向かい、寒空の中、川下りをしました。船のデッキから見えるのは、これまた日本では見たことのない巨石群の絶景。それも驚嘆なのですが、水位スレスレの窓の外には、頼りなげな木舟で無防備に船に近づいてくる地元の人たちが、手に何かを掲げ売ろうとしているではありませんか!窓が開かない構造だったので買えず見ているだけでしたが、バンバンと体当たりされるのも初めての体験です。すごい生命力です。

年末の寒い時期にも船を出してくれました

下船すると、今度は素足の少女たちがカラフルな花を持って近寄ってきます。寒空の下、素足とは…。平成の日本ではまずお目にかからない光景に、驚きと哀しみを感じずにはおられません。鍾乳洞を見て、最後に桂林の山々を望む公園に連れて行ってもらい、山水画の景色を目に焼き付けました。桂林はとても素晴らしい小さな町でした。

翌朝、上海に向かうため空港に行くと、早朝にも関わらず足つぼマッサージ店が開店しています。眠い目をこすって、遥かに私達よりだるそうな店員さん達にマッサージしてもらいました。空港で待ち時間にマッサージしてもらえるなんて、なんて良いサービスなんだろう…と、もう胸いっぱいです。

空港の待ち時間にマッサージとは、なんと素晴らしい発想!

上海につくと、豫園へ。ストローで飲むビッグ小籠包の美味しさには参りました!

当時から人でごった返していました
小籠包というより“汤包”ですね

夜は上海蟹!日本では見たことのないオレンジ色の味噌の美味しさったら…。

年末の上海はとても寒くて、外灘の散歩中に百貨店に立ち寄りニット帽を買いました。

夜の外灘は当時も魅惑的な印象でした。とにかく寒かったけど

そして当時の上海で最も階数の高いホテルに泊まりました。(ハイアットだったか?)

夜、ホテルの吹き抜け部分で年末のカウントダウンイベントが行われるというので行って待っていると、多数の黒服に連れられたマダムが現れ、最前列に落ち着かれるではないですか。明らかにVIPです。結局誰なのかはわかりませんでしたが。

12時になると吹き抜けを金銀の紙吹雪が舞い、会場は大盛りあがり。

中国の大都会、最先端をひた走る上海を全身で感じました。

高級ホテルがクラブのようになった瞬間でした

翌日には日帰りで水郷・蘇州へ。上海から近い街なのに、そこにはゆったりとした全く違う世界・中国の伝統的な建築群が広がっていました。狭い水郷をボートで散策するのも楽しかったです。

蘇州の有名な庭園・拙政園にも行きました。今考えても素晴らしい旅!

このたった4泊5日の「駆け足・中国旅」が、その後の運命を変えることになります。日本では遭遇しないことの数々、出会いようのない景色の数々に…。とにかく中国の激しすぎる振れ幅と多すぎる情報量に圧倒され、私は中国の持つ底しれぬ魅力にすっかり堕とされてしまったのでした。

飛び込め北京~編集部員Tの悲喜交交北京生活13年~③東京で中国を夢見る日々 – 愛言社ブログ


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