飛び込め北京~編集部員Tの悲喜交交北京生活13年~④いざ中国移住計画、始動

中国文化

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飛び込め北京~編集部員Tの悲喜交交北京生活13年~①私と中国との出会い

飛び込め北京~編集部員Tの悲喜交交北京生活13年~②初めての中国旅でどっぷりハマる – 愛言社ブログ

飛び込め北京~編集部員Tの悲喜交交北京生活13年~③東京で中国を夢見る日々 – 愛言社ブログ

毎日会社で中国人と接し、週一回の中国語講座と数回の渡航に加え、中国関係のコンテンツに触れるうちに、私は「中国にしばらく住んでみたい…」と思うようになりました。

当時27歳。入社から3年以上経ち、ちょうど今後歩む方向を考えている時期でした。

当時働いていた会社は中国事業の予定はあったもののまだ先の話で、更に日本人社員をどう配属するかもまだ検討段階。それに、当時の会社は大企業だったため、もっと小さな会社で小回りをきかせて色々と経験したいと考えた私は「鉄は熱いうちに打て」と言わんばかりに転職活動を行うことにしました。

27歳。今を逃すと一生住めない!と直感的に感じました

キーワードは2つ。

「中国」と、かねてより興味のあった「出版」の2つの軸で仕事を探しました。すると、中国の都市部で日本人向けの情報誌を作っている会社を見つけました。その会社は当時求人募集をしていなかったのですが、やる気を伝えれば何かしら気に留めてくれるだろうと考え、早速問い合わせ、面接にこぎつけました。社長が私の勤める会社のOBだったことと、それまでの職歴が役に立ち、早速内定をいただきました。

当初の配属は上海の予定でしたが、内定をいただいたあとに北京に変更してもよいかと問われます。

一度も訪れたことのない北京という地名に戸惑うものの、前述の中国ドラマ「好想好想谈恋爱」があまりにかっこよかったことと、中国大陸に行きたい!という思いは揺らがず入社を決意しました。

そして、地方に住む親への説得を開始しました。

中国に血縁のない私。親も中国に関してはそんなに興味がなさそうです。そんな私の説得方法はこうでした。

世界地図を見せて、実家から東京の距離と北京の距離感がほぼ同じなこと時間的にも新幹線と飛行機でだいたいそんなに変わらないことなどを示します(無理があるって?)

そうやって色々言いたそうな顔を抑え込みました。

そんなに遠くないよとアピールしましたw

さて、親に無理矢理感のある説得をし、中国人同僚にも話しました。

すると、上海出身の中国人同僚はこういうのです。

「北京なんて埃っぽくて田舎で住めたもんじゃないよ!ダサいし!やめときなさい!」と。

また、大連出身の中国語教室の先生はこう言います。

「えー!めっちゃいいじゃないですか!北京は大都会です!上海のほうが渋滞もひどい。」(笑)。

中国という国は出身地によってこうも見方が変わるんだな…と、渡航前から印象付けられました。

次に、国際引っ越しに関して。

リサーチしたところ、日本国内と到着国内では船便として扱い両国間は航空輸送する、船便より速く、航空便より安いサービスSAL便が比較的安いという情報入手し、手続きをしました。所持していた一人暮らしの荷物は人にあげられるものはあげ、実家に送るものは送り、13箱の段ボールを北京の事務所に送り届けました。(あとからこれが無謀な量だということを知らされますw)

荷物を引き取りに来てもらいました

さて、中国に行くことを決めたのは完全に私の一存でしたが、内心、大きな不安とそれを上回る期待に打ち震えていました。ここまで勢いできたものの、人生の大きな選択をした瞬間だったといえるでしょう。

そして忘れもしない、2007年2月25日。私は初めての北京に降り立ちました。

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