飛び込め北京~編集部員Tの北京生活13年~⑮2008年五輪、私はそこにいた

飛び込め北京

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飛び込め北京 – 愛言社ブログ


2008年の北京といえば、北京五輪一色でした。今回は当時のことを思い出して書いてみようと思います。

北京五輪と仕事――猛烈な日々

私の仕事においても、五輪の影響は大いにありました。北京五輪に関連して日本からやってくる出張者や観光客、関係者に向けて北京の地図本「北京★ナビ」を特別に制作することになりました。

普段から在京日本人向けに北京情報を提供する雑誌を発行していたため、基礎的な情報は網羅していましたが、通常版はそのまま発行しつつ新たな付加価値のある本を作るとなると、新たな掲載先の獲得に普段は足を運ばない場所にも実際に出向き、地図と店舗を確認するなどの新たな業務が加わりました。もちろんフリーペーパーなので、収益は企業や店舗からの広告費頼みです。当時は社員一丸となって本当に猛烈に働いていました。それ以前に東京で働いていた頃もまあまあ忙しくしていましたが、その頃と比べてもシャカリキに働いていたと思います。

五輪で変わった北京の街並み

北京五輪を素晴らしいものにするべく、北京の街も一変しました。
中国政府が大規模なインフラ整備と建築プロジェクトを行い、新施設やインフラを一新したのです。

五輪関連施設の建設

国家体育場(鳥の巣)

  • 用途:開会式・閉会式、陸上競技
  • 特徴:スイスの建築家ヘルツォーク&ド・ムーロンによる設計。外観が鳥の巣のような鉄骨構造で世界的に有名です。
  • 収容人数:約9万人

国家游泳中心(水立方)

  • 用途:水泳・飛び込み・シンクロ競技
  • 特徴:外壁が気泡のような構造で、青く光るデザインが特徴的。

その他、老山自転車館、五棵松体育館北京工人体育館などが北京五輪のために建設、改修されました。

進むインフラ整備

地下鉄の整備と新路線開通

北京五輪の開催に向けて、北京地下鉄が急速に拡大。2008年は4号線・10号線・オリンピック支線(8号線)などが新設されました。

※地下鉄はその後も開発が進み、2023年には以下の通り地下鉄が大増設。すごいとしか言いようがない!

北京首都国際空港第3ターミナルの完成

2008年2月に完成した世界最大級のターミナルの一つです。オリンピックに向けた国際観光客・選手団の受け入れのために建設されました。

北京南駅の再建と高速鉄道

京津城際鉄道(北京~天津)の始発駅として全面改築され、2008年に新装オープン。現在では高速鉄道の重要拠点となっています。

相次ぐ交通や建設の規制

ナンバープレートによる車両制限

2008年北京五輪を境に、北京市内(五環内)では、「偶数日・奇数日」の交互で自家用車の走行を制限するようになりました。目的は交通混雑の緩和大気汚染の抑制で、約330万台の車両のうち45%の走行を制限しました。その後、コロナ禍の休止期間以外、現在まで車のナンバー規制は続いています。

公用車・商用車の使用制限

政府や公共機関所有車の70%が使用禁止、高排出車両は走行不可となりました。大型トラックや営業車の五環路内への進入も、日中は禁止されました。

競技関係車両専用レーンの設定

開会式に向けて、競技関係者・要人用レーンが特別に設定され、一般車両は通行不可となりました。

建設・工場の一時停止

大気質改善のため、多くの建設現場や工場が開会式前後に一時閉鎖されました。

空港や公共交通の運行制限

8月8日19時~24時の間、北京首都国際空港での離発着が制限され、飛行機のダイヤにも大きな影響が出ました。タクシーや公共交通も増便・運用時間延長など、交通量調整が行われました。

その他にも、会期中の降雨を減らすためにロケットを打ち上げて人工的に雨を降らせる胡同のドアなしトイレを一斉整備する、街の壁面には「拆(取り壊し)」の文字があちこちに書かれ新しいビルが次々と建てられるなど、街中がせわしなく動いていた印象があります。

規制の影響は私たち北京住民にも降りかかり、タクシーが捕まらない、雑誌を載せたトラックが予定通り通行できないなどの不便を被っていました。当時はとても不便に感じましたが、多少の犠牲を出しても大きなことをやり切るという中国のトップダウン政治を体感したとも言えるでしょう。

2020年から21年にかけて、私は東京にはいなかったのですが、メディアの情報をみる限り2020年の東京五輪では当時の北京ほどの大改革はみられなかったと思います。それだけ中国が大変貌を遂げる最中だったともいえますが、2008年の北京がどれだけ街を挙げて、国を挙げて大行事を行ったかが伝わるでしょうか?

印象深いテーマ曲「北京歓迎你」

さらに当時は、どこへ行っても五輪のテーマ曲「北京欢迎你」が流れていました(笑)。とにかく忙しかった当時は、そのゆったりした曲調に嫌気が差すほどでしたが、聴けば聴くほど味が出るスルメイカのようで、今では大好きな曲です。当時はゆったりミュージックビデオを見る余裕がありませんでしたが、見返してみると北京の名所旧跡で中国を代表する明星たちがリレー形式で歌う贅沢な内容となっています。この曲からはものすごく正能量(ポジティブなエネルギー)をもらえる気がしますw。

北京欢迎你【4K】︱群星︱Welcome to Beijing

静まり返る街――開幕式当日の北京

満を持してやってきた8月8日は、街中から人が消えました

開幕式開催に伴い、開催地の国家体育場を中心に厳格な交通規制が敷かれていたのです。当時私は北二環沿いに住んでいて、まさに規制対象エリア。いつも車が行き交う街が嘘のように静まり返り、不気味に感じたほどでした。

チャン・イーモウ演出の開幕式を体験!

五輪が始まると、試合を見に行く機会に恵まれました。

まず、開幕式に先駆けて行われた有観客のリハーサルを観に行くことになりました。当時仲良くしていた台湾系焼肉店の老板が(どういったルートかは謎でしたがw)入手困難なチケットを取ってくれました

2008年の北京五輪の開幕式は中国を代表する映画監督のチャン・イーモウが総演出し、中国の歴史・文化を壮大なスケールで表現したものでした。総額1億ドルが投入されたと言われ、当時のオリンピック史上、最も高額な開会式となりました。

そのスケールはまさに前代未聞で、1万5千人のパフォーマーが出演し、競技場の床には縦147メートル×横27メートルの巨大LEDスクリーンを設置。北京の夜空に打ち上げられた29個の巨大な花火の「足跡」など華々しく、世界中をあっと驚かせました。

また、開幕式は2008年8月8日午後8時8分(現地時間)から始まりました。この「8」という数字には中国ならではの深い意味があります。「八(bā)」は「発(fā)」と音が似ていて、中国語では「発財」=「金持ちになる・財を成す」とされ、非常に縁起の良い数字とされています。その8が並ぶ時間の開催には、「縁起の良さ」を最大限に高め、中国の文化や価値観を世界にアピールする狙いがありました。

本番通り行われたリハーサルを観た限り、実際、初っ端からスケールが大きく、壮大で見ごたえのあるもので「中国ってこんなにかっこいいんだ!」と誰もが納得せざるを得ない素晴らしい内容でした。こんなに素晴らしいものを間近で見る機会をくれたオーナーには感謝したものです。演目の中国56民族紹介も圧巻で、この時見たウイグル族の女性が三つ編みを振り乱して踊るエキゾチックな舞踊に魅了され、その後、新疆ウイグル自治区への旅を計画することになりました。

Incredible Highlights – Beijing 2008 Olympics | Opening Ceremony

思い出の試合たち

試合も色々と観に行きました。

天津で行われていたサッカーの試合には、バスを貸し切って会社の社員全員で向かいました。しかし北京天津間の交通渋滞を甘く見ており、目当ての日本戦に間に合わず、次のよくわからない国の試合を見ることになったのも今では懐かしい思い出です(笑)。

また、朝陽公園で行われていたビーチバレーの試合は、かなり間近で見ることができました。北京にビーチはないので新たに特設会場を作り、住民からして見ればおなじみの公園で白熱した国際試合が行われることに…ちょっと面白く感じました。

日本対韓国の野球の試合では、韓国の応援の大きさに圧倒されました。それもそのはず、北京に住む外国人で最も多いのは韓国人です。人数が多いのも声が大きいのも当たり前だ~…と納得しました。

あの頃の北京がくれたもの

それまで私は、オリンピックというイベント自体に特別な思い入れのない人間でした。今も市井の一人として、そこまで熱狂するタイプではないと思います。

けれど、あの勢いの凄まじかった2008年の北京にいられたことは、私の人生にとって確かに大きな意味を持っていたと感じます。とにかく良いものを作るためにできることはすべてやる――自分だけでなく周囲も巻き込み、街を、そして国をあげて徹底的にやり抜く。

あの頃の北京のポジティブなエネルギーは、今も私の中に灯った小さな炎として息づいている気がしています。

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