中国に興味があって行ってみたいけれど、なんとなく「怖いかな?」とか「やっぱり中国語できないとダメ?」と思い悩んでいるあなたの背中をえいっと押すきっかけになれば…。「中国語はそんなに得意ではないが興味だけはあった」アラサー日本人女性が、中国に出会い、七転八起して過ごした北京での思い出を綴ります。
■「飛び込め北京」シリーズを読む

北京生活に慣れてきた頃、中国各地の旅へ出かけるようになりました。
そもそも私が中国に惹かれた理由の一つが、その国土の広さと多種多様な大地の魅力にありました。平日は北京で働いているので長旅はなかなかできませんでしたが、国慶節や清明節など中国の連休を利用して、様々な場所へ行きました。
それに、北京は中国の首都であり、空港や鉄道などの交通網が発達していたため、移動がしやすかったことも大いに関係していたと思います。
今回は北京生活番外編ということで、北京から旅行し始めた頃の思い出深い旅先とエピソードをご紹介をします。
香港2人旅 4泊5日(2007年8月)

初めて旅立ったのは香港でした。仕事で知り合った日本人の友人HちゃんがZビザ(就労ビザ)の切り替えをするために香港に行くということで、一緒にいかない?と誘われ、夏季休暇を利用してついていきました。
海外在住者にはフットワークの軽い人が多く、急な誘いは割とあり、私も用事がなければOKしていました。思いもよらぬ地に誘ってくれる友人の存在はありがたいものです。
この時は、ビザの申請に必要な期間に合わせて4泊5日の旅程になりました。
佐敦の窓なし狭小ホテル

北京首都空港から香港への機内で、Hちゃん持参の「地球の歩き方 香港」をザッと読み、九龍島側の日本人向けドミトリーに宿泊することに決めました(事前にホテルなど取ってなかったんです。若いですね~)。ですが、到着して実際に向かってみたところ、男女のスペースがベニヤ板で仕切られているだけの、バックパッカー上級者向けのディープな宿だったので、もう少し色々見ようか…と探し当てたのが、香港の下町・佐敦(ジョーダン)の重慶大廈風ビルに入っているインド人経営の3畳ほどの2ベッド窓なし個室でした。(1泊2名220HKD)
2ベッドと言っても診察台サイズのベッドと、別途半畳の個室にトイレとシャワーが同居(トイレがビチャビチャになるタイプw)。あまりの狭さに当時は衝撃を受けましたが、白いシーツに空調、14インチのテレビまで備え付けられており、面積に対して世界一家賃が高い香港では割に上等な宿だったかもしれません。
香港の人は薄着しない

夏の北京は暑く薄着の人が多かったので、当時の私ももれなく、タンクトップにホットパンツ(懐)という無防備な格好で過ごしていました。翌朝、北京の定番スタイルで香港の街に繰り出したところ、すぐに違和感を覚えました(笑)。香港の街を行き交う人々が、皆長袖・長ズボンだったのです。香港だって蒸し暑いのですが、北京では当たり前だった露出度高めの格好など誰もしていません!冷房対策かもしれないし宗教上の理由や土地の特性かもしれません。慌てて宿に戻り、長ズボンに着替えることとなりました(汗)。

茶餐厅と高級海鮮

2日目は、Hちゃんがビザの申請に行っている間、私は会社の香港事務所にお邪魔しご挨拶して、香港の観光スポットを色々と紹介してもらいました。
そして、香港で行ってみたかった香港式ファミレス茶餐厅に足を運びました。茶餐厅は、太平洋戦争後の香港で、西洋と中国の文化が融合して生まれた影響がメニューからもうかがえます。私は、パンと目玉焼きとソーセージ、ハム入り出前一丁にアイスミルクティーを注文し、当時30HKDという価格でした。香港の庶民が日常使いする茶餐厅は、朝から晩まで広東語が飛び交っています。南方の外食文化らしい活気があって、北京では味わえない賑やかさを感じました。

夜は、Hちゃんの知人に香港で長年親しまれる広東料理の海鮮レストラン「竹園海鮮飯店」へ連れて行ってもらい、名物料理「ロブスターのチーズ焼き(芝士牛油焗龍蝦)」をいただきました。これがとっても美味しくて今でもあの濃厚な味わいを忘れられません。また、ニンニク風味の春雨入り貝料理も、海の近い香港ならでは。生け簀の中に様々な海鮮が並び、これもまた「海なし北京」ではお目にかかれない沿岸の地ならではの風景です。
香港に行ったらどちらも堪能すべき、甲乙つけがたい地元フードでした。

異国情緒漂うマカオ

3日目はマカオへ。香港島の上環港からフェリーに乗り一時間で島に到着します。
マカオは、香港の西約60kmにあり、1999年までポルトガルの植民地でした。

フェリーターミナルのバス乗り場から、マカオ半島の中心部・世界遺産エリア「マカオ歴史市街地区」にあるセナド広場へ向かうバスの中からも、生い茂る南国の植物の間に建つカラフルな建物が見え、端々から漂うリゾート感に否応にも期待値が高まります。
セナド広場は観光客が多いものの、石畳やバロック建築群が異国情調を感じさせるスポットで、日中は名物のエッグ・タルトを食べたり街歩きをして過ごしました。

夜通し遊べる大人の街

夜は、マカオの代表的リゾート「カジノ・サンズ」へ。雰囲気に飲まれ眺めているだけでしたが、ほんの少しだけ遊んで(もちろん負けました…)、その後はポルトガル・マカオ料理店へ向かいました。ポルトガル料理をベースに広東料理や東南アジアの影響を受けた融合料理をいただくと、ますますここがどこなのか分からなくなります。ポルトワインも開け、フェリー乗り場に着いたのはなんと夜中1時。それでも、香港マカオ間のフェリーが24時間運行していて当日のうちに香港に戻ることができました。
100万ドルの夜景を目に焼き付けて

前日宿に帰ったのが真夜中だった4日目は、2人とも疲れていたので香港島の中環にあるSOHOエリアでのんびりと散策することにしました。このあたりは洒落た雑貨店やカフェ、レストランが集まり、最先端で多文化なだけでなく、急な坂道や階段などの間にも地元民の生活も垣間見ることができ、本当に興味深い場所でした。名物の坂道を走るエスカレーターにも乗りました。

夕方には登山電車に乗りこみ、100万ドルの夜景で有名なスポット「ビクトリア・ピーク」で、夕日が沈み、摩天楼にひとつずつ明かりが灯っていく様子を、言葉も忘れてじっと眺めていました。

翌日にはHちゃんのビザも無事取得でき、私たちは北京への帰途につきました。
人種のるつぼ・香港は、北京とは全く違う文化があり、いつ行ってもエキサイティングで興味深く、北京にいる間に計3回遊びに行きました。刺激を求めたくなったら、香港に足を運ぶのが良いと思いますよ。
厦門1人旅 3泊4日(2009年5月)

北京の書店で購入した、当時にしてはハイセンスな中国の旅行ガイドブック「最厦門」を眺めているうちに行きたくてたまらなくなり、端午節休暇に有給休暇をくっつけて向かいました。中国では初めての一人旅となりました。
雨の中、旧市街・中山路を歩く

北京首都国際空港から海南航空で厦門(アモイ)へ。到着するとあいにく横殴りの雨でしたが、空港のバス乗り場に来たバスに適当に乗りこみ、中山路まで向かいました。
中山路は厦門の旧市街地にある最も歴史ある商業歩行街で、東南アジアで成功した華僑が凱旋帰国して南洋風の騎楼建築風の商店や家を建てた通り。街中が異国情緒に溢れています。まず屋台の烤土豆(焼きじゃがいも)を頬張りながら、街を散策しました。適当にブティックに入れば、おしゃれでリーズナブルな品々が並んでおり、感激してしまいました。
コロンス島で過ごす、静かな夜

中山路を下ると海が見え、中山埠頭がありました。初日は鼓浪屿岛(コロンス島)に宿を取っていたので、フェリーに乗り海をわたります(乗船時間約10分)。

コロンス島は、19世紀から20世紀初頭に、イギリスやフランス、日本などの外国勢力が租界(外国人居住区)を置いた島で、当時の西洋建築が多く残っています。島内は2平方キロメートルと狭く一日で歩いて回れる狭さで、車両禁止のため静かな島です。ピアノの保有率が高く、多くの音楽家を輩出してきたことから、「ピアノの島」とも呼ばれているそうです。

この日の宿は、事前に中国の旅行サイトCtripで予約していた「呉家苑」(1泊390元)。

一人旅にしては割と贅沢な宿でしたが、重厚な木製のふかふかベッドとアーチ窓にときめき、長めの夕寝をしてしまいました。夕飯は繁華街に出てお粥屋さんで牡蠣スペアリブ粥を頂きました。

翌朝、小鳥のさえずりで目覚め、朝ご飯は赤レンガが敷き詰められた中庭で、おかゆとピーナッツ、高菜に茶鸡蛋をいただきました。食事内容はごく中国風なのに、とても贅沢な心地がします。

時間を“浪費”する贅沢:花時間の午後

2日目は1日コロンス島散策です。「最厦門」でひと目見てここに行こうと決めていた場所がありました。カフェ「花時間」です。

安海路という路地に建つこの立派な建物は、もともとフィリピンで成功を収めた華僑が母のために1927年に建てた邸宅。2000年代中頃、温州の建築デザイナーと人気パーソナリティーだったAir夫妻がこれを買い取り、カフェを開いたのだそう。今ではこの建物は、厦門市の重点歴史風貌建築に指定されています。

レンガ造りの古い邸宅に素朴な家具を配置、興味深い書籍も多く置かれているのですが、まるでセンスの良い友人宅にお邪魔したような温かい空間でした。これ以前も以後も、これほどうっとりする空間に身をおいたことはないといえるほど…。店内に書かれた「時間是用来浪費的(時間は浪費するためにある)」という夫妻のメッセージの通りゆったりと過ごせる配慮がなされ、変なBGMもなく、私が訪れたときはラッキーなことに天蓋付きデイベッドのある一部屋が貸切状態。コーヒーやフードを何度もオーダーして、本を読んでのんびりしました。

「花時間」は2014年に夫妻の息子がドイツにバイオリン留学する際に閉店。中国には時々こういうフレッシュな感覚を持った方がいて、たまに遭遇すると感激してしまいます。素敵な空間を提供していただき、ありがとうございました。
ツアーで巡る世界遺産・南靖土楼

2日目の夜に厦門島のビジネスホテルに移動。チェックインの際にホテルの中にあった旅行デスクで中国人向け土楼ツアーを予約しました。土楼ツアーは何箇所か行き先がありましたが、土楼が集中している南靖土楼にしました(費用218元)。辺鄙な場所は、自力で行くよりもツアーバスに乗ったほうが安上がりなのでおすすめです。私もその後、様々な場所でこの方法を採用しました。
翌朝7時40分にロビーで待ち合わせのはずが、バスが来る気配はまったくありません。さすが中国です。
しばらくしてバスが到着。様々なホテルを経由し、中国人観光客に混じって土楼へ向かいます。途中宿泊しているホテルを記入する際に日本人だとバレましたが、特に問題ありませんでした。
土楼周辺に到着すると、早速、当地に住む客家料理を頂きました。山に住む彼らの料理は塩辛い味付けが特徴です。

食べ終わると早速土楼内部へ。
土楼とは、中国福建省西南部にある、大規模な土造の集合住宅のこと。世界的にも珍しい形状と構造をもち、2008年には「福建土楼」としてユネスコ世界遺産に登録されています。ここには客家人が集団で住んでいます。
円形や方形の土楼を散策します。1つの土楼に数十世帯、200人以上が住むこともあり、「1つの村が1つの建物の中にある」とも言われているとか。

実際に居住している方々の暮らしを拝見したりお土産の高山茶を物色するものの、客引きはなく過ごしやすかったです。周辺には段々畑が広がっており、昔ながらの生活を営んでいるようでした。

中国一美しいキャンパス、厦門大学

ツアーからホテルに戻ったのが夕方6時頃。その日は、厦門大学付近の人気海鮮店で夕飯を食べる計画を立てていて、厦門大学行きのバスに乗り込みました。
厦門大学は中国近代教育史上初の華僑創設大学で、山と海に囲まれた美しい環境から「中国で最も美しい大学」と称されています 。実際に訪れてみると、背に青々とした山と寺、手前に海上の広い空が広がり、キャンパス内も湖やヤシの木の並木道があり、本当に心地よい場所でした。
一通り散策したあと目当ての海鮮屋さんを訪れると、人気店のようで超満員な上、本に載っていて食べたかったメニューも売り切れており、隣の「哈爾浜水餃子」に行くことに(笑)…。
「厦門に来てまで哈爾浜かい」とは思ったのですが、母娘っぽい店員さんがフレンドリーで吸い寄せられました。紅焼排骨18元、水餃子20個/6元、地三鮮/10元等をオーダー。これが恐ろしく美味しくて、結果的に満足したのでした。

意外な夜のハプニング:ライブバーにて

厦門旅のラストナイトということで、さらに足を伸ばしライブハウス「TRUE LOVE」へ。ライブが始まるまで奥のほうでひっそり飲んでいたところ、なんとナンパに遭遇。しつこくて無視していたのですが、なんと服務員から「うちの常連さんだから是非飲んでくれ」とのこと。「一人で飲みたいから嫌だ。私もお客なのに…帰るよ!」と言い返し、引き下がってくれるかと思いきや、外に出るまで続きました(涙)。ここはそういう場所だったのか……?確かに「トゥルーラブ」という名前ではあるけれど本にはそんな記述はなかった…。そんなこんなでじっくりライブを聞くことができなかったけど、現地のナイトクラブの雰囲気を味わいました。

扁食の朝と、旅の締めくくり

最終日の朝は、福建省周辺で食べられているワンタン「扁食」を食べに「労松扁食店」へ。平べったいワンタンで、大椀4元、小椀3元と格安!朝から地元民で賑わっていました。見ると、皆一緒に「拌面」を食べていたので、私も追加注文してみたところ、ピーナッツバター風味の和え麺でした。この辺の名物らしいです。

最後にもう一度コロンス島に渡り、コロンス島を一望できるスポット「日光厳」に登ってオレンジ色の屋根が連なる美しいコロンス島を眺めたあと、再び「花時間」でお茶して北京に戻りました。
初めての一人旅が、これほど心に残るものになるとは思いませんでした。厦門大学やコロンス島などが素晴らしい印象だったため、子どもが生まれてから2017年に再訪。その頃には豊かになった中国人観光客が激増し観光地化した場所も多かったのですが、やはり海辺の町はカラフルな花であふれ、穏やかな時間が流れていて大いにリフレッシュできました。
海辺の町で南洋風華僑文化に浸るなら、ゆったり厦門がおすすめですよ。

おわりに
香港や厦門への旅でプチ旅行の楽しさに開眼し、それから休暇を見つけては(主に春先にウズウズしだして)少しづつ遠出するようになりました。また機会があれば、別の地への旅についてもお話したいと思います。
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飛び込め北京~編集部員Tの北京生活13年~⑮2008年五輪、私はそこにいた – 愛言社ブログ
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