中国語語学誌『聴く中国語』は毎月、日本で活躍している中国の有名人や日中友好に貢献している日本人にインタビューをしています。
今回は、中日経済貿易関連の業務に従事し、留学経験や国際起業、さらに国際人材管理などの経験を持つビジネスパーソン、秀山斌さんにインタビュー。秀山さんがどのようにご自身のキャリアの方向性を見つけたのか、また就職活動中の若い方々に向けてのアドバイスを伺ってみました!
――秀山さん、こんにちは。お会いできて嬉しいです。読者の皆さんにご挨拶をお願いできますか?
みなさんこんにちは!秀山斌と申します。私は吉林省で生まれ、もともとは中国籍でした。その後、6歳の頃に家族とともに日本へ移り、日本で育ちました。そして高校生の時に、中国国籍から日本国籍に変更しました。日本で20年ほど暮らし、普段の生活では両親と主に中国語で会話をしていましたが、専門的な中国語はあまり話すことができませんでした。ですので、大学を選択する際に、私から「中国に留学したい」と話すと、両親もそれを応援してくれました。それから、1年間中国語を体系的に学んだ後、中国人民大学の学士課程に進学することができ、国際関係における政治経済学を学びました。
北京での5年間の留学生活を経て、言語能力だけでなく、中国文化に対する理解も深めました。日本に戻ってから、三菱電機に新卒入社し、仕事を通して様々な経験を積みました。その後、コンサルティング会社への転職を経て、中国の広州でCRM(顧客管理システム)サービスを提供する会社を設立しました。3年半ほど会社を経営し、起業や事業開発管理の経験を積んでから、現在の会社に入社し、新たなキャリアを歩み始めました。

――とても豊富なご経歴をお持ちですね。先ほど仰っていたように、これまで中国、日本をはじめ、様々な国や企業で働き、起業もされたとのことですが、そのご経験について詳しくお聞かせいただけますか?どのようにご自身のキャリアの方向性を調整されたのでしょうか?
私の最初の夢はパイロットになることでした。これは、6歳で日本へ来たばかりの頃に抱いた夢です。初めて飛行機に乗った時に、とても感動して、「将来はパイロットになりたい」と思ったのです。しかし、日本でパイロットになるには、当時2つの道しかありませんでした。1つは、大学2年時に日本の航空大学に転入し、そこで4年間学んでからパイロットになるという道。もう1つは、日本の航空会社に直接就職するという道です。私は当時、全日空の試験を受け、厳しい面接を経て、4次選考まで進みましたが、5次選考の身体検査で不合格となりました。パイロットは厳しい身体的条件が求められるため、その時の私は夢を諦めざるを得ませんでした。そして、私は改めて将来のキャリアについて考え直し、最終的には、やはり日中間のビジネスに関わる仕事に就きたいと思いました。
それから、何社もの会社を受けました。(内定を頂いた)4、5社の中から、日中間のビジネスに強く携われる会社が三菱電機だったのです。こうして、三菱電機に入社し、自動車機器に関わる生産管理の仕事に就きました。

しかしながら、三菱電機は大きな会社で、素晴らしい職場環境ではありましたが、私はこのまま自動車機器の部署に留まっていては、将来的な自己成長の余地が限られてしまうと思いました。(当時の制度では入社後一貫して同じ事業の中でキャリアを進めていくものと考えられており、実際先輩を見るとそのようなキャリアだったため。)また、様々な業界に触れたいと思い、転職を決意しました。
その後、コンサルティング会社に転職し、主に採用・人材開発や組織戦略などの仕事を担当しました。その期間、ITや美容分野などの日本企業の経営者と接する機会が多くあり、そのような方々とビジネスの話をする中で、「自分も会社を設立してビジネスをしたい」という夢が芽生えたんです。
コンサルティング会社を離職後、中国の広州に移り、中国の友人たちと会社を立ち上げました。最初に手掛けたのは、美容品――シャンプーでした。市場のトレンド、そして私は三菱電機での仕事を通してOEM(委託製造)のプロセスに精通していたので、中国で日本ブランドのシャンプーを製造販売する際、私たちには自信がありました。それから、広州で積極的に販売活動を行いましたが、これは私の人生における大きな失敗となってしまいました。(これらのシャンプーの在庫は)最終的に自分で使う羽目になったのです。

起業に失敗し、多くの在庫が残ったため、美容院にも営業をかけました。しかし、美容師たちに「私たちの専門は髪を切ることで、シャンプーの需要はそれほど多くない」と言われてしまいました。しかし、営業活動で、(当時)中国の美容院では顧客情報を管理する際に、紙を使って管理していることに気が付きました。日本の美容院では顧客情報をシステムで管理していたため、私は「もし中国に、日本のこのシステムを持ち込めば、チャンスがあるんじゃないか」と考えたのです。
当時、私たちはまだシステムを作っておらず、製品もありませんでした。(あるのは)私のアイデアだけでした。私はそれを書き出し、中国の美容院に説明し、美容院側のニーズを聞き取った後、日本に戻り、エンジニアと一緒に美容院向けの顧客管理システムを作りました。システムが完成すると、広州の美容院で成約することができ、小さな成功を収めることができたのです。
その後、WeChatが登場し、美容院もWeChatで顧客情報を管理するようになりました。この時期に、美容院のオーナーから「そのシステムと君たちの会社を、売ってくれないか」と打診され、私は会社ごと売却しました。

当時、私はやることがなく、悩みました。しかし、自分には中国でどのように仕事を進め、事業を展開すればよいのかなど、苦労を通じて得た経験がありました。中国から日本に来て、日本国籍を持つ今、やはり将来的には日中間のビジネスに関わり、両国の友好と相互理解に貢献したいと思うようになりました。
そう考えていたとき、私が現在勤めている会社の社長(家本賢太郎氏)と出会いました。この会社は日中間のコンサルティングサービスや人材交流にも力を入れていて、私がキャリアを通して実現したい目標とも一致していました。この仕事では、私のこれまでの経験を活かして、さらに日中間のビジネス交流や協力事業を進める機会を得ることができました。
――現在はどのようなお仕事に携われていらっしゃいますか?いくつか事例をご紹介いただけますか?
たとえば、中国市場への進出を考える日本企業から、どのステップから進めていけば良いか、という相談をよく受けます。弊社には中国弁護士資格を持つ者や日中双方に詳しい者が多数在籍しているため、市場調査を行ったり、戦略を提案して、さまざまなサポートを提供していきます。現在、私はCHRO(Chief Human Resource Officer、最高人事責任者)としてグループ全体の人事組織戦略を担当しており、会社の人事管理や人材開発などを行っています。
中国は現在ますます発展しており、「サイバーセキュリティ法」や「個人情報保護法」などの新しい法律が次々と制定されています。しかし、多くの日本企業は中国の変化――それらの法律が事業にどのような影響を与えるのか、影響がある場合どう対応すべきか、またそれに伴うコストがどれくらいかなど、理解していないことが多いです。そのため、私たちはまず企業の現在の管理体制を調査して、中国の求める基準とその会社の現状のギャップを把握し、その問題にどのように対応すべきか具体的に提案し、コンサルティングを行っています。
もう一つの事例として、日本のあるアパレル企業がブランド力の拡大方法について悩まれていました。私たちは中国で市場調査を実施し、コンサルティングを行った結果、その企業では、更なる事業拡大には日本語が話せる中国人、或いは中国語が話せる日本人の人材が必要になると考えました。このような人材を探すのは容易ではないですが、当社のウェブサイトを利用して適切な人材を紹介し、企業の人材確保を支援しました。


――中国企業と日本企業にはどのような明確な違いがありますか?
本質的には大きな違いはないと思いますが、コミュニケーションの部分で少し違いがあります。日本語には「察する」という言葉がありますが、これはよく観察し、相手の言葉に出ていない考えまでも感じ取るということです。しかし、中国の場合は状況が少し異なります。中国には56の民族があり、地域ごとの文化や考え方の違いが大きいため、自分から考えを積極的に伝えないと、コミュニケーションがうまくいかないことが多いのです。日本では、考えが一致していることが多いですね。

日本籍華人・企業幹部
秀山 斌
2010年中国人民大学卒業。
三菱電機株式会社入社、自動車機器の日本国内・東南アジア・中国向けH/W・S/W製品の生産企画管理に従事した後、 株式会社リンクアンドモチベーションを経て、中国で美容アパレル商社及びWeb/App開発会社を起業、3年間同社の会社経営及び事業運営に携わる。
2017年、クララ株式会社入社。2018年12月よりコンサルティング事業部ゼネラルマネージャー、2020年12月より取締役 コンサルティング事業部長。現在、クララ株式会社取締役CHRO HR戦略室室長。
今回のインタビューの続きは月刊中国語学習誌『聴く中国語』2025年4月号に掲載されています。さらに詳しくチェックしてみたい方は、ぜひ『聴く中国語』2025年4月号をご覧ください。

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