北京旅の「あと」:私の中国史ブーム

中国留学記
コラムニスト 水上華
日本と中国のハーフ。日本で生まれ育ち高校三年生の時に中国への留学を決め中国の大学に入学するも、新型コロナウイルスの影響で一年生の間は中国への渡航が叶わず日本でオンライン授業を受けた。

 前回は北京旅行について書いた。天安門広場万里の長城ユニバーサルスタジオ北京など、観光地をめぐりながら過ごした4泊5日。旅そのものも充実していたけれど、実はその旅の「あと」、私たちはしばらく余韻から抜け出せずにいた。

 きっかけは、景山公園から眺めた紫禁城の光景だった。そのスケールと迫力は想像をはるかに超えていて、視界いっぱいに広がる深紅の屋根や整然と並ぶ建物の数々に、ただただ圧倒された。紫禁城は、中国の歴代皇帝たちが暮らした場所。そのことを思うと、目の前の景色に「歴史の重み」がにじんで見えてきて、「ここにはどんな時代があったのだろう」と、自然と興味が湧いた。

万里の長城もまた、心に強く残った。果てしなく続く石の壁の上に立ち、思わず「どうやってこんなものを、あんな昔に?」と声が漏れた。あまりにも有名な観光地だけれど、実際にその場に立ってみると、その存在の大きさと静けさに、ただ心を打たれるしかなかった。

上海に戻ってから、「万里の長城の謎に迫る」というテーマのYouTube動画を観て、改めてそのスケールに圧倒された。長い年月をかけて築かれたその全長は、なんと2万2千キロにも及ぶという。あのとき現地で感じた驚きが、映像と知識によってさらに深まり、ただの観光地が「人類の偉業」として心に刻まれていく感覚があった。

 私とルームメイトの間では、ちょっとした中国史ブームが巻き起こった。帰ってからはゆるく中国史を調べ始め、紫禁城や長城の起源、歴代王朝の流れ、秦の始皇帝や明・清といったキーワードを検索していくうちに、「これは映画でもっと深く感じてみたい」と思うようになった。

 最初に観たのは『ラストエンペラー』。映画の舞台である紫禁城を数日前に実際に目にしていたからこそ、その映像がよりリアルに胸に迫ってきた。とくに印象的だったのは、作品全体から感じられる「歴史へのリスペクト」。清朝最後の皇帝・溥儀という人物を通して描かれる、時代の変化と人間の運命の交錯が、美しく、そして切なかった。

 特に心に残っているのは、幼い溥儀が紫禁城の中を無邪気に駆け回るシーン。観ているこちらは、彼がこの先どれほど大きな時代の波に翻弄されていくのかを知っているからこそ、その無垢な姿に胸が締めつけられるような思いになった。

もう一つ印象的だったのが、西太后の小指と薬指の爪の長さだった。異様なほど長く伸ばされたその爪を見て「なんでだろう?」と調べてみると、それが高い身分を示す装飾品であることを知った。日常生活の中で自分の手を動かす必要のない「貴人」の証であり、その長い爪こそが彼女の権威と地位の象徴だったという。こうした小さな描写からも、昔の中国の文化や価値観を垣間見ることができたのは、とても興味深かった。

 後日、『ラストエンペラー』とあわせて観ると良い、というレビューを目にして『さらば、わが愛 覇王別姫』を観た。激動の20世紀中国を背景に、京劇役者の二人の人生を軸に物語が展開される。美しい舞台の裏で、時代の激流に翻弄されていく登場人物たちの姿があまりにも人間的で、見終わったあとはしばらく言葉が出なかった。

『ラストエンペラー』が一人の皇帝の人生を通して時代を描いていたとすれば、『さらば、わが愛』は民衆の視点から中国の近現代史を映し出していた。しかも、より具体的に歴史の出来事に触れていたぶん、理解が深まると同時に、心がずっとザワザワしていた。

 気がつけば、私たちは毎日のようにYouTubeで見つけた面白い中国史の動画を送り合うようになっていた。「これ観た?」「この解説、わかりやすいよ!」といったやりとりが、気がつくと自然と生活の一部になっていた。

旅は、帰ってきてからも新しい扉を開いてくれる。今回の北京旅行は、まさにそんな体験だったと思う。中国に対して、以前よりもずっと近く、親しみを感じるようになった。

本コラムは『聴く中国語』2025年7月号に掲載しております。

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