大家好!いかがお過ごしでしょうか。筆者は今月、ちょっとスペシャルな、嬉しい出来事がありました。なんと、26年ぶりに、中学時代のクラスメートと東京で再会できたのです。
このクラスメートのH氏はシステムエンジニアとして長年日本で働いており、流暢な日本語を話し、立ち居振る舞いからファッションに至るまですべて日本人そのものでした。H氏によれば、日本に来たのは純粋に日本語の響きがすごく好きだったからだそうです。大学時代は理系でしたが、第二外国語で好きな日本語を選び、授業で習った日本語を使って、バスケ仲間の日本人留学生と会話を交わせた時は、本当に嬉しかったのだそうです。日本語と出会えたことで初めて外国語を学ぶ楽しさを知り、さらに日本社会や日本文化をもっと知りたいと思い、日本での定住生活を決意したのだそうです。
彼の話を聞き、中国語の教師としてあらためて感じたのは、英語以外の、いわゆる「第二外国語」との出会いの大事さです。大学で履修する第二外国語は、受験から解放されている分、気が楽です。外国語を学ぶことの楽しさは、結局、この「お気楽さ」から生まれてくるのだと思います。何かに受かるための勉強ではなく、ただ「聞き取りたい、話したい、知りたい」というピュアな気持ちをもった人が、最終的には外国語を制する、という気がします。このピュアな気持ちさえあれば、必ず外国語をものにできます。そしてその先には、もう一つの世界と新たな風景が広がってきます。

だいぶ話がマクロになってしまいました。もう少しミクロの話にします(笑)。今月は、 “贴”という単語の意外な意味と使い方についてお話ししようと思います。
通常、“贴”というと、「貼る、貼り付ける」の意味が浮かんでくるのですが、この言葉はどうやら最近では、「〜にぴったりあっている、〜に近い、ふさわしい」という形容詞の意味でも使えるようです。
筆者が番組で目撃した実際の用法はこうです。ある俳優が新ドラマの番宣で、自分が劇中で演じている役の人物像について“很聪明(頭が良い)”だと紹介した後、少し冗談めかして、“特别贴(自分にピッタリ)”と言いました。今度はもう一人の女優さんもこの俳優さんの「ネタ」を拾い、自分が演じている役について、“是一个温柔、坚定的人,跟我也很贴(「優しく、意思強い子で、私の性格ともすごく合っている」)”と笑って言いました。これは、謙虚さを大事にする中国だからこそ成立する笑いですが(自分で自分を褒める、というおかしさ)、筆者が注目したのは、“贴”のこの形容詞用法です。ここの“特别贴”や“跟我也很贴”は、日本語らしい表現を使えば、要するに「はまり役」ということです。

では、“贴”がどんなイメージなのでしょうか。
中国語の辞書を引くと、“贴”は「貼る、貼り付ける」以外に、「くっつける、押し当てる」という意味があります。例えば、「耳を壁に押し当てて、盗み聞きをする」というときは、 “把耳朵贴在墙上偷听”というふうに表現します。“贴”には「接近する」という意味もあります。例えば、 “一群蜻蜓紧贴着水面低飞(トンボが幾つもの群れをなして水面すれすれに飛び交っている――白水社の『中国語辞典』より引用)”。この文における“贴着水面”は「すれすれ」と訳されていますが、「水面にピッタリくっつくくらいの勢いで飛んでいる」というイメージなのです。

以上で紹介した“贴”の三つの用法―①貼る、②くっつける、押し当てる、③すれすれに接近する―は何となくお互いにつながっているような気がしせんか。
“贴”の動詞としての基本的な意味がわかると、“特别贴”や“跟我也很贴”が「はまり役」の意味となるのもわかりますよね。日本語の「役にはまっている」というとらえ方に対して、中国語の“贴”はむしろ「役柄が自分に限りなく近い」というとらえ方をしています。

と、ここまで大真面目に人様の冗談を言語学的な観点から分析しましたが、何だかすごく野暮なことをしているような気がします。すみません。今回のことで気づいたもう一つの感想は、「ピッタリだ、はまっている」を表す“贴”のこの形容詞用法は、筆者がこれまで聞いたことも使ったこともない中国語なのに、その意味、およびその細かいニュアンスまで理解できたのがすごく不思議です。日本人の中国語学習者の方が初めてこの“贴”と出会ったとしたら、「貼る」という意味から「ピッタリ」の意味を推測できるのでしょうか?皆さんのご意見を教えて下さい。
それではまた次回!
今回紹介した先生のコラムは『聴く中国語』2025年2月号に掲載しております。

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