中国語語学誌『聴く中国語』は毎月日本で活躍している中国の有名人をインタビューをさせていただいております。
今回のインタビュー相手は、日頃NHK教育番組の中国語講座で講師を担当されている陳淑梅先生です。先生が新たに出された本や日中文化の違いに関して新たに体得されたことについてうかがってみましょう。
ー陳淑梅先生こんにちは! まずは読者の皆さんに一言挨拶いただけますか?
こんにちは、陳淑梅です。皆さんにお会いでき大変嬉しいです。
ー先生は日本の中国語教育の領域で大変ご活躍されて多くの教科書も出版されており、NHKの中国語教育番組やラジオ番組で何度も中国語講師を担当されていますが、最近出版された中国語の入門書(『15構文を覚えるだけ カンタン中国語 超入門』)はとてもかわいらしい本ですね。少しご紹介いただけますか?
この本は、編集部の方からのご依頼を受け制作したものです。大学用ではなく社会一般の方々が使える簡単な中国語の入門書を作れないかというものでした。一般的な学習者向けの本を私はこれまであまり書いたことはありませんでした。
今回は、一般の学習者が受け入れやすいものにしなければならないと思ったのです。たとえば大学で使うような語彙はできるだけ少なくし、日常生活の様々な領域や仕事の場面で使う語彙を選びました。また15個の文型も、何度も試行錯誤しながら選び抜きました。英語の学習本にはそういうものが結構多いです。
中国語の教材は型通りを良しとすることが多く、私自身もそうでした。ですから今回は多くの英語教材のテクニックを参考にし、15個の簡単な文型を用い、そこに日常で使う中国語の単語を盛り込みました。そうすればひとつの文型から30個ほどの新出単語が学べるでしょう。そこでこのように、完全に独立した15の文型とその15の文型に見合った30ずつの新出単語を組み合わせて学ぶことができれば、短い時間で少なくとも入門までは学べると思いました。
ー自伝エッセイ『茉莉花』の中で、最初に日本語を学び日本語を好きになったのはラジオ放送からで、独学で学び始めたと書いていらっしゃいました。当時の日本語独学の経験や習得方法、心得を教えていただけますか?
初めて日本人が話す日本語を聞いたのは中国の、私のふるさと天津でのことでした。天津の日本語放送ラジオ講座をラジオで聞いたのです。それまで私が映画で聞いたことのある日本語はどれも中国人が日本人をまねしたもので、正確とは言えませんでした。ところがそのラジオで聞いた女性の先生の発音がとても美しかったのです。その時のことは、はっきり覚えています。中国の先生がまず「大家好」と言い、そして日本人の先生が「皆さんご機嫌いかがですか」と言いました。そのときに私は「うわあ、美しい!こんな風に話せるようになりたい!」と思いました。そして日本語を学び始めたのです。当時は日本語の教材が全くなかったので、ともかく買いに行きそれから毎日その先生の言われる通りに勉強しました。
日本語には「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、中国語では「喜歓就是原動力」(好きこそ事始め)と言います。私はその通りだと思いました。私は本当に日本語が好きで、発音が好きで、毎回ラジオ講座を聞くときにも新出単語や文型を覚えるだけでなく、主に先生の発音のまねをしたんです。ですから独学と言っても何も困難を感じることなく楽しく勉強しました。大学に入ってからも、試験のたびに皆四苦八苦していましたが、私はとても楽しくて、専攻科目の選択は間違っていなかったということですよね。
ー日本に来たばかりの頃のご経験をお話いただけますか? また日本に来た後どのようにして今の職業の道へ歩まれたのでしょうか?
大学卒業後、大学に残って教師をしていました。大学を卒業してすぐに先生になるなんて、今では想像もできないことですが、当時は人材が不足していたのでしょう。私自身が持っている財産は「一杯の水」しかないのに、人には「二杯」をあげなければならないのが、とても不安でした。そこで私は「ひと桶の水」を持っていなければ人に分けることはできないと思いました。ですからさらに研修を受けるか大学院に行きたいとずっと思っていました。
その後日本に来る機会を得ました。明治大学に日本文学を教える先生がおられて、私を喜んで受け入れて下さいました。ですから私は日本で日本文学を学んだのです。修士2年、博士3年、ずっと日本文学を学んできました。卒業後、私のいた天津大学から帰ってくるように言われました。私の職位はまだそこに残っていたのです。ですが仕事に様々な変化があり、しばらく帰れませんでした。そのとき、中国語を教える仕事が多数舞い込んできたのです。やがて私はやはり言語が好きだという事に改めて気がつきました。私の日本文学の先生がおっしゃった言葉にとても感動しました。私はしばしば「すみません、私は自分の専門を見失いました」と言っていました。でも先生は「日本で仕事ができる限り、日中友好でも中日友好でも何でもいい。君が第一線で活躍してくれさえすれば、私は嬉しいのだから」と言われたのです。それからの私は心の重荷を捨てて、全力で教え始めました。
ー『小点心―あっさり味の日中文化論―』の中で、多くの日中間の文化的な違いを紹介されていました。たとえば魚の小骨の置き方やコートを脱ぐときのマナーや挨拶の仕方等。この本が出版されて十数年経ちますが、今でも通じることばかりです。このような文化的違いが発見できることは、先生の日中両国文化に対する理解と細やかな観察力によるものだと思います。最近は何か新しい発見がございましたでしょうか?
私は日本語が好きなので、当然日本語を話す日本人も好きです。ですから国であれ言語や文化であれとても関心があって、私たちと異なる点を観察するのも大好きなんです。ですが文化は、良し悪しはありません。ただ違うんです。
最近私が気づいたことは、日本人はしばしば「中国人はメンツを大事にする」と言います。中国人と言えば「メンツ」、「メンツ」のためなら理解できないようなこともしてしまいます。この点は私も同意します。中国人は口ではいつも「メンツ」と言い、たとえば「これではメンツが立たない、メンツを立てるためにもう一人分の料金を払ってしまう」といったことです。自分が損をしても「メンツ」のためにそうしてしまうのです。
では、日本人はメンツを気にしないのでしょうか? 私はずっと思っていました。日本人は表現方法が違うだけなのではないかと。日本人はしばしば「かっこ悪い」と言います。これを中国語に翻訳すると、つまり「メンツが立たない」「体裁が悪い」になるのではないでしょうか。たとえば、私が学生にテキストの本文を読むように言います。彼は準備できていませんなどと言うので、私は構わないというのですが、日本人学生は「かっこ悪い!」と言うんです。
私は大学生に教えるのが仕事ですからこう言います。「中国人なら、うまく読めなくても読みますよ。」学生達は私に聞きます。「かっこ悪くないの?」私は中国人が恐れるのは「話せない」ことであって、「うまく話せない」ことはかっこ悪いことにならない、と説明します。日本人は逆に「メンツ」を重く見ていて、「うまく話せない」くらいでメンツ丸つぶれだと。学生たちはそれを聞くと大笑いします。
日本人が悪くて中国人がよいと言っているわけではありません。私はどんな人でも、どんな国の人でも基本的には同じだと思います。中国人はただ、表現の仕方が目立つだけなのです。中国人はよく「メンツ」を口にするので、「メンツを重んじる」というイメージがついてしまったのだと思います。
ー日中の文化的違いといえば、先生は国際結婚をされていますね。先生とご主人が知り合われる中で、興味深い出来事や日中の文化的違いに関する出来事はありませんでしたか?
中国ではこの「つれあい(伴侶)」を表す言い方はころころ変わります。私はときに中国語(の「つれあい」という言葉)が出て来ません。中国にいたときには「愛人」、やがて「先生」、それから「丈夫」、現在は「老公」と呼びます。どれがよいのか分からないので、今はただ「彼」と言っています。「彼」は日本人ですが関西の人で、家でよく「君たち外国人が言う日本人は東京人のことだよね」と言います。彼が言うには、「関西、特に大阪(彼も大阪の人です)の文化と東京の文化はもともと違う。君たちがいうのは東京人だよ」。そして「僕(大阪人)は中国人に近いけど、君の方が日本人みたいだよ!」と言うのです。
飲食文化の違いでいうと、私は『小点心』の中でこんなエピソードを書いたことがあります。それは「彼」が初めて私の家に来た時、私は先に地ならししておく必要がありました。両親は日本人との結婚に反対していましたから、友人や同級生が私が行く前に私の実家に行って言葉巧みに話してくれたのです。両親はそんなにいい人なら賛成しようということになりました。そこで下にも置かない歓待ぶり、たくさん料理を作って彼をもてなしました。彼は食べに食べました。私は心配して「どうしてそんなに食べられるの?」と聞きました。「もう食べなくていいよ」と。彼は「もう死にそう。はちきれそうだよ!」と言うので、私は「なぜそんなにはち切れそうになるほど食べるの?」と聞きました。彼は「ほら、僕のお皿にとりわけてくれるんだもの」と言います。「バカじゃないの、食べられないのになぜ食べるのよ?」彼が言うには、「日本人はお皿に出されたもの、特にホスト自らとりわけてくれたり自分で自分のお皿にとったものは、残してはいけないんだよ」。ああ、そのときは本当にこのことが理解できませんでした。私はすぐに「もうとりわけないで」と両親を止めました。すると両親は逆にこう言いました。「彼はなんでこんなに食べられるの? 準備した料理はもうなくなっちゃったわよ」本当に大笑いの一幕でした。私は日中の文化の違いを本当に面白いと思ったのです。
ー中国語学習の話に戻りますが、日本には百万の中国語学習者がいます。しかし学習を続けられる人はそれほど多くはありません。長く中国語の勉強を続けられるのはどのような人だと思われますか? 何か特徴はありますか?
学習を続けられる人というのは、私が考える限りでは、まず好きでなければならないと思います。中国語が好きなら、中国の人や文化が好きでなければなりません。いわゆる好きというのは、好きでないものをどう好きになるかという話ではなく、興味を持つということです。中国人には表に出してしまう欠点がたくさんあります。中国人として、私はこれらの欠点をしばしばこう説明しています。人には人の考え方があります。ですが、他人の説明を聞くのは面白くないので、日本の皆さんにぜひ自分で考えてほしいです。なぜ中国人がそのような言動をとったのかを。実はその言葉の奥にはとてもよい、善良な心が隠されているかもしれない。ですからよく考えて、自分の判断が正しかった時には、とても嬉しく満たされた気持ちになると思います。そうすれば、その人達のことが少しずつ好きになって、彼らの文化も好きになるでしょう。好きになれば、それが言語を学ぶモチベーションになるのです。
もちろん、中国語の基礎なく、仕事の必要で中国に行き、ペラペラになって仕事で成功をおさめている人も多くいます。私はこのような人に(なぜ中国語がこんなにうまいかを)聞いたことがあります。多くの答えが中国が好きだからというものでした。行ったばかりのときは何も聞き取れなくて、1日目、2日目の時はすぐ帰りたくて仕方がない。でも中国人を理解し、性格が分かるようになると、好きになり始める。好きになり、好きであり続けた人は、おしなべて成功しています。ですから中国に行けないとしても、興味があれば学習の大きなモチベーションになります。
ー先生は周りの人の動きや表情をまねるのがお上手だとお聞きしましたが、それは言語学習には大きな助けになるのでしょうね。何か学生たちに伝授できる秘訣はありますか?
私が模倣が好きなのは認めます。悪い癖だと思っているので自制しようと思うのですが。たとえば、映画のある台詞をとても気に入ると、同じ台詞を繰り返し聞きます。そして口に出してその台詞を言おうとすると、無意識にその役者の話し方をまねしてしまうんです。多くの人が私に記憶力がいいね!と言います。私はそうではなく、その台詞が好きだからそのシーンを見ているだけなのだと言うのです。ですから私がまねする対象は、すべて私が興味を持っているものです。それは周りにいる人も含めてですね。
私が思うに、真似するということも興味があるということでしょう。興味がなければ決してしないでしょう。もし皆さんもこの方法が気に入ったら、中国人をまねしてみるととても面白いと思いますよ。
ー最後に、『聴く中国語』の読者や先生のファンの皆さんに、一言激励の言葉をいただけますか?
『聴く中国語』の読者の皆さん、皆さんのレベルはすでに非常に高いです。ここで私は皆さんに敬意を表したいと思います。このような難しい雑誌を自分のお金で買い、一生懸命聴いたり読んだりする。そのこと自体が、皆さんが中国語に強い関心があることの表れです。現在の状態を継続すれば、必ずや大きな成功をおさめられると思います。また、『聴く中国語』に比べればいま私が担当している「中国語ナビ」は簡単すぎると思います。ですが、後半には中国文化をたくさん紹介していますので、ぜひこちらもご覧いただければと思います。きっと気に入っていただけると思います。
ー陳先生、ありがとうございました!
先生の中国語インタビューを中国語で聴く&読むなら、聴く中国語2023年3月号をご覧ください!
そのほか、今の中国を知るおもしろ情報がいっぱいです!
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