インタビュー!朗読家・元NHKテレビ中国語講座キャスト 陳洲挙さん

インタビュー

中国語語学誌『聴く中国語』は毎月、日本で活躍している中国の有名人や日中友好に貢献している日本人にインタビューをしています。

今回のインタビュー相手は、ベテランの大学中国語教師、プロの中国語朗読家・アナウンサーであり、長年NHKの中国語講座に出演し、中国語検定試験の試験問題録音にも携わってこられた陳洲舉先生にインタビューしました。陳先生の中国語教育・研究、朗読や舞台に対する愛について、お話を伺ってみましょう!

私は中国の北部に位置する「氷の都」ハルビンで生まれました。約40年前に日本にやってきました。きっかけは、私の妻のお母さんが日本人だったことです。私たちが中国で結婚した後、ちょうど日中国交正常化の後に、妻のお母さんは日本に移住しました。妻と彼女の父も日本に行くことになり、私も同様に日本に来ることになりました。私の母はとても(考え方が)開けた人でした。私は家族の末っ子で、家族は私が家を離れることを望んでいなかったはずです。しかし母は理解を示してくれ、当時国内の生活が日本と比べものにならないとも思ったのでしょう、「行ってきなさい。日本でいい生活ができるでしょう」と言ってくれたのです。そのため、私も心配や躊躇することなく日本にやってきました。

偶然の機会が私をこの道へ導いたと言えるでしょう。当時私が日本に来てから、ある日本人の友達が新橋にある「朝日中国文化学院」という学校で中国語を学んでいて、「一緒に(学校に)遊びに行き、日本の状況を知ってみないか?」と誘ってくれ、一緒に行きました。学校を訪れた際、当時の教務主任が日本人で、少しお話しました。私自身が文学を学んでおり、比較的に綺麗な標準語を話すため、その教学主任の方は非常に喜んでくれました。当時、綺麗な標準語を話す中国人を見つけることは難しかったのです。その後、その方に招かれ、学校で教え始めると他の先生方とも知り合い、私は東京のいくつかの有名な専門学校で教えるようになりました。例えば、朝日中国文化学院、中国語研修学校、日中学院などです。私は7月に日本に来て、10月から働き始めました。

1985年からNHKの講座に出演するようになりました。それから、当時一緒にお仕事をした教授の方たちとも知り合い、大学で授業を担当しないかとのお話をいただきました。その後、徐々に専門学校から大学へ移り、多い時には10校の大学で教えましたが、その後8校になりましたね。

中央電視台アナウンサー夏青先生と一緒に

私が専門学校で教師を務めていた頃、学生はみな社会人でした。当時、日中関係はすでに改善されており、多くの企業が社員を中国に派遣し駐在させていたため、このような学生が多かったのです。私は多くの大企業や大手銀行に出向いて授業も行いました。このような学生層はまったく異なります。大企業や大手銀行の学生たちは非常に聡明であり、一度教えるとすぐにできるようになりますし、とても若いです。

専門学校の学生は通常、主婦や退職後の高齢者です。彼らは老化を防ぐために学び始め、非常に真剣です。私の教師としての能力もその時に鍛えられました。彼らの要求は非常に厳格で、辞書を引き、教師の発音が間違っていると指摘したり、どういう意味かと聞いたりします。そのため、私も頭を使わなければなりません。この時期、私は学者たちが書いた多くの本を読み、沢山の収穫を得ました。

授業後、NHK文化センター中国語クラスの学生と記念撮影

大学になると、また状況が変わります。大学は大学生が学ぶところです。私が教えるのは中国語を専攻する学生ではなく、単位を取得するために中国語を学んでいる学生たちです。授業を受けるときは挨拶を交わす一方で、1年間の授業が終わると、顔を合わせても「知らんぷり」、見知らぬ人となってしまいます。彼らの動機はあまり強くありません。ただし、学校や学部によって状況は異なります。例えば、明治大学の法学部の学生は非常に優秀で、また日本女子大学の学生たちも非常に熱心に学ぶ姿勢を持っています。

当時、学生たちに中国語の練習や中国についての理解の機会を提供するために、短期間の留学プログラムを企画しました。私は日本女子大学で2、3クラス担当しましたが、最初のプログラムでは18人の学生とともに、新疆のシルクロードへ行きました。当時、シルクロードは大きな影響力を持っていた時期でしたから。その後、毎年学生たちを上海の同済大学、そして私が朗読や話劇、演劇が好きだったため、上海戯劇学院に連れて行きました。20年以上、夏休みや春休みに学生たちを連れて行きましたね。もちろん、この活動は旅行会社を通じて行う必要があります。そうでないと違法になってしまうので。毎年多くの学生が参加し、彼らの学習にも良い影響を与えました。

NHKテレビ中国語講座の出演者・スタジオに訪問された方と共に

はい。私は文学を学びました。私がハルビン出身で、標準語を話すので、それが私の「武器」になったのでしょう。日本に来てからは、すぐに中国語教育の世界に没頭しました。徐々に中国語の発音に興味を持つようになりました。例えば、「春天」(この言葉)では、「春」と「天」の両方が第一声ですが、学生たちが発音すると「春天」(二文字ともに高く読んでしまう)。私はそれは違うと言いました。「春」はもう少し長く、高く発音し、「天」は低く、短く発音しなければならないのです。(私の研究は)こういったところから始めたのです。

他の双音节词(二つの音節から成る単語)も同様なのでしょうか?その後、私は同音の双音节词から研究を始め、どれも一つは長く、もう一つは短い音があることに気付きました。その後、教育の現場で少しずつ要点をまとめ、多くの問題に気付き、「半声符号」というものを考案しました。各声調にある短い音を「半声」と名付けました。

第二回国際中国語教育討論会に参加

この本(『語気助詞付き 中国語会話感情表現パターン辞典』)は、中国人が感情を表現する際にどのような方法を使うのかを紹介しています。表情や動作ではなく、語彙を用いて表現する方法です。後に私は感情や気持ちを表現する「パターン」を発見しました。つまり、前に一つの単語があり、その後には必ず語気助詞が付くという構造です。例えば、「呢」や「吗」といった語気助詞です。

例えば、最も簡単なのは「太……了!」です。これは「太……了!」という形でなければなりません。例えば、「我今天太高兴×」と言うことはできませんし、「我今天高兴了×」とも言えません。必ず「我今天太高兴了!」となります。そのため、この「パターン」を一緒に研究する必要があります。そうでないと、「太」や「了」についてもはっきり説明できません。

このようにすることで、文法上の大きな問題の一つを解決できました。特定の単語の使用方法が分からない場合、それが「パターン」であるかどうかを確認し、「パターン」であるなら問題をスムーズに解決することができます。

中国語会話 感情表現パターン辞典(勉誠出版)

また、『中国語常用口語表現1000』(挿入語の辞書)についてですが、挿入語も話者の気持ちを表現するため使用されます。例えば、「糟了,我钱包丢了!(しまった、財布を無くした!)」や「我钱包丢了,糟了,没带来!(財布を無くした、しまった、持っていない!)」というように。「糟了」はここで挿入語となります。これは文頭に置かれることも、文中に挿入されることもあり、話者の感情を表現します。したがって、挿入語は必ずしも一つの単語とは限らず、短いフレーズであるかもしれません。このような表現は辞書には載っていませんが、辞書に載っていない場合、外国人の学生たちはどのように理解すればいいのでしょうか?そこで、私はこれを一冊の辞書にまとめました。これらはすでに出版された私の研究を代表する著作です。

中国語常用口語表現1000(東方書店)

私は小さい頃から、朗読が大好きだったんですね。学生だったころ、教科書の新しい文章を学ぶ際、先生がよく模範文を私に読ませてくれました。読みながら、自分が結構うまくできていると自信を持ち、朗読の道を歩み始めたのです。私は朗読が好きでしたから、後に先生になったわけですね。

2018年毛沢東生誕記念詩歌朗読会のようす

その後、私はCCTVのアナウンサーたちを模倣し始めました。かなり忠実に模倣できるようになりました。例えば、「为人民服务,我们的共产党和共产党所领导的八路军、新四军是革命的队伍(人民のために尽くす。我々の共産党と、共産党が指導する八路軍、新四軍は革命の軍隊である)」といったセリフも、録音するとまるでアナウンサーのようですよね?しかし、これは私が模倣したものであり、自分でできるわけではありませんでした。だから私は学生たちにも模倣するように言っています。その人が発音しているように発音するのです。特にまだ理解が不十分な段階では。どの音を強調するべきかわからないじゃないですか。話す際は必ず音を正確に、言葉をクリアに、響きのある声で話してくださいと。特にこういう文章の場合は、柔らかな詩とは異なります。(後者は例えば)「春天了,南国正用杜鹃花,点燃它那娇艳欲滴的三月风景(春が来ました。南国ではツツジがその優美な三月の風景を彩っています。)」というように、テーマに合わせて異なる方法で朗読する必要があります。

2023年「茶会Plus」に出演した際には、常四爺を演じた

サロンを設立したのは、私は朗読が好きだからです。東京には多くの中国人がいて、朗読が好きな人もきっとたくさんいるだろうと思い、私の知人たちに広告を出したのです。現在、メンバーは90人以上になりましたが、実際に活動に参加し、朗読や作品制作を行う人は非常に少なく、まだ影響力が十分ではないかもしれません。

2018年12月には、毛沢東の誕生日を祝って毛主席の詩を朗読するイベントを開催しました。そのイベントは非常に成功しました。今年の春には、舞台劇『茶館』を演じました。私も「常四爷」という役柄で参加し、これも大きな成功を収めました。こうした演出を通じて、朗読が好きな人々と出会うことができました。今後、私たちはヨーロッパ風に皆でコーヒーを楽しみながら詩を朗読する、そんなサロンを新たに企画するかもしれません。

まず、声優というより「ナレーション」の仕事についてです。当時、日本に来る中国人で標準語を上手に話せる人が少なかったため、私は「電通」や「本田」などの大手企業とつながりがあり、ナレーションの仕事を頼まれました。その中で最も有名なのはパリダカールラリーのカーレースで、当時、私は毎年一回行われるカーレース実況を担当しました。これはとても素晴らしい経験であり、私自身も非常に好きな仕事でした。

また、NHKでの経験も振り返ると、その十数年は私の中で最も輝いていた時期であり、出演だけでなく、発音指導も行っていました。私の父は料理人で、中国料理が得意でしたので、私たち兄弟もみな料理ができるのですが、私もNHKの中国語講座で「陳さんの料理メモ」というコーナーを持っていました。毎回1つの料理を作り、中国語で作り方を教えるのです。また、エッセイや随筆も連載し、当時の中国の生活状況について紹介する機会もありました。編集部が私の文筆を評価してくれたことがきっかけです。

外国語を学ぶ際には、必ず教師の指導の下で学ぶべきだと思います。上手に学ぶためには、良い教師が必要です。良い教師の条件は、一つは高い能力を持っていること、そしてもう一つは責任感が強いことです。私はこの両方を兼ね備えていますので、学生に対する要求も高いです。私は学生に中国人と同じように自然に話すことを求めています。もちろんこれはできないことですが、私が求めなければ、学生はもっとできないしょう。私が担当するクラスには、「半三声」が何かも分からない学生もいました。しかし、中国語を教えるとき「半三声」を教えないことは許されないことです。「半三声」を教えずしてどうやって文章を読むのでしょうか?

また、教師は経験豊富でなければなりません。(例えば)どのように短期間で学生のレベルを向上させるかというと、まず、発音をしっかりと正しくして、その後は会話練習に移ります。会話練習はまず暗記から始めるべきです。暗記は大切です。私は大学でこの本(『耳留学』)を使って教えています。私の学生たちには録音を聞かせて、その後二人一組で会話を行うようにしています。この本を学び終えれば、本の内容をすべて話すことができ、発音も私がしっかりと正しています。

もちろん、継続する必要があります。語学というものは、一度止めたら、それは学んでない、時間を無駄にしたのと同じです。ですので、学びたいかどうかをよく考え、学ぶ意志があるなら、一生涯学び続けなければなりません。

初級テキスト「中国語耳留学」(隆美出版)

陳洲挙(岡田洲挙)先生/中国文学、現代中国語を専攻。1948年生まれ。1981年来日。中国文学専攻。来日後40年間、明治大学、立教大学などで中国語の教師として教鞭をとる。1985年から10数年の間、NHKテレビ「中国語会話」にゲスト出演。世界中国語教学学会理事を務め、在日華人中国語教師協会理事として『中国語教学と研究』の編集長、中国語検定試験リスニング問題の吹き込みなど、中国語教育の第一線で活躍。中国語会話の「感情、情緒、態度、文化」の研究及び中国語の声調、イントネーションの研究に取り込み。現代中国語の文法や発音についての論文を10数編発表、著書に『中国語常用口語表現1000』、『中国語会話感情表現パターン辞典』、『中国語耳留学』(共同)などがある。
電通や博報堂から依頼され、本田、伊藤忠、神戸製鋼などのプロモーションビデオのナレーションを担当。2018年初、「東京朗読サロン」を成立、主宰。

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第二弾!陳洲挙先生の朗読講座【范仲淹の『岳陽樓記』にチャレンジ】12~1月開講 (u-how.co.jp)

今回のインタビュー内容は月刊中国語学習誌『聴く中国語』2023年11月号に掲載されています。さらにチェックしてみたい方は、ぜひ『聴く中国語』2023年11月号をご覧ください。

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