大家好!皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
忙しい毎日の中、本誌での中国語学習が皆さんにとって、ちょっとしたリフレッシュの時間になれたら幸いです。このコラムも、学習に役たつ様々な情報を、小噺を交えて楽しく紹介していきたいと思います(ちょっと、ハードルをあげすぎちゃいました。汗)。
さて、前回は中国語の「字zì」と日本語の「字(じ)」の違いについて書きました。「字zì」は生活の中で、漢字のみを指すことが多く、漢字以外の文字は想起されにくいというお話をしました。実は、「字zì」の意味は「漢字」だけにとどまりません。今回はもう少し、「字zì」を用いた他のフレーズを見てみましょう。
まず、生活の中でよく出会う「字zì」のことばとして、以下のような2語があります。
1 吐字不清 tǔzìbùqīng :発音がはっきりしない、滑舌が悪い
2 字正腔圆 zìzhèngqiāngyuán:京劇などの伝統芸能において、俳優の台詞回し、節回しが上手で、聞き取りやすいこと
ここでの「字zì」は「漢字」というより、「漢字の発音」ととらえるべきです。
「漢字の発音がはっきりしない(吐字不清)」ということで、「滑舌が悪い」ことを表し、また「漢字の発音が正確だ(字正腔圆)」ということで、台詞回しが上手であることを指しています。日本語でいうところの「滑舌」や「台詞回し」が、「字zì」となっていることが少し不思議ですね。
人間が発することばは通常、一定の長さをもった音の連続となっており、聴き手はその音の連続を一字一句区切りながら聴いているというよりは、フレーズや文といったまとまりで聴解しているはずです。例えば、「ありがとう!」と言われ、これを「あ・り・が・と・う」のように一字一句に理解する方はいません。これじゃ、埒があかないからです。
昔、東京オリンピック招致のときに流行った「お・も・て・な・し」というフレーズは一字一句でしたが(笑)、これは人間の自然な発話というより、パフォーマンスです。話はそれましたが、要は上の二つの表現からは、中国人はいつも、相手のことばを一字一句、一言も漏らさずに、丁寧に聴いているという印象を受けます。しかし、そうでしょうか。自分なんかはあまり人の話を聞いていないので、少し違和感があります。実態を反映していないのではないでしょうか。
こんなふうにくよくよ考えていると、ある点に気づいたんです!
「滑舌悪い」という意味の「吐字不清」、「台詞回しが上手」である「字正腔圆」はどちらも、日常会話のおしゃべりを想定していません。前者は公の場でのスピーチや発言、講演などで、話し手の発言が聞き取りにくいときに使います。後者は、伝統芸能(特に歌を含むもの)において俳優の声を褒めるときに使うことばです。いずれも、丁寧に、意識して聴くことが必要で、かつ一旦紙に書かれた原稿や台本を抑揚つけて読み上げる(歌い上げる)、という特徴をもっています。この2語が使われる場面に気づけば、「字zì」で「ことば、台詞の発音」を指すことも腑におちますね。さて、次の表現はいかがでしょうか。
3 咬文爵字 yǎowénjiáozì:ことばの一字一句の正確さにこだわりすぎて、文章全体の意味を汲みとろうとしないこと。
4 字里行间 zìlǐhángjiān:行間(を読む)、(文章において)ことばの端々に
5 字面zìmiàn:文字通りの意味
3〜5において、「字zì」は「漢字」の意味を飛び越えて、漢字で書かれた文章、ことば自体を指すようになったことがわかります。
「字zì」が「文章、ことば」まで指すという事実は、日本語の「字(じ)」の意味からは少したどりづらいかもしれません。しかし、よく考えてみると、実は日本語にも「字で文を指す」ことがあります。気づきましたか。
5の、「文字通りの意味」がこれに当たります。「文字通りの意味」は、ことばや文章から読み取れる直接的で、「素直」な意味を指し、「言外の意味」や「ことばの裏の意味」ではないということです。なんですが、「文字通りの意味」だと言っているのは個別の「文字」の意味ではなく、文字の連なりからなる「文章そのもの」の意味です。現に、「文字通りの意味」を「ことば通りの意味」に言い換えることができます。ゆえに、「文字通り」における「文字」が「文、ことば」の意味へとシフトしているのです。
興味深いのは、「文字通りの意味」に対して、「文字=文」だからといって、「文通りの意味」や「文章通りの意味」は変な気がします。中国語でも、「字面上的意思」「字里行间」とはいえますが、「句面上的意思」「句里行间」はあまり聴いたことがありません(中国語では「文、センテンス」のことを「句子jùzi」といいます)。なぜでしょうか。ことばや文章の意味はすべて、「字zì」の意味によって決定され、どんなに長い文であっても、全体の意味は結局、単体の「字zì」の意味に収縮されていく、という発想なのかもしれません。
「それはそうだ、確かに!」と思いになるかもしれませんが、人間のことばは、実は「1+1=2」のような単純なものではないようです。ある単語と別の単語を足したら意味がわかるという例はむしろ少なく、単語と単語の意味や文法規則がわかっていても、全体の意味を産出できないパターンの方が多いといえます。例えば、上の1の「吐字不清」はいかがですか。「吐=はく」、「字=漢字」、「不清=はっきりしない」がわかるからといって、この語は「スピーチなどの公の発言で、発言者が滑舌悪く、ことばが聞き取りにくい」を意味していることがわかりましたか(笑)。何となくわかっていても、使われる文脈や背景までは難しいですね。
ついでにいうと、英語にも「字zì=文」に似た発想はありますね。wordという語は本来「単語」ですが、単語の意味よりも「ことば」自体を指すことが多い気がします。例えば、Can I have a word with you?(ちょっと話があるんですが)やhave words with him(彼とちょっとした言い争いをする)などです(a wordかwordsかで意味がまるっきり変わるのが面白いですね)。「字zì」やwordがそのまま「ことば」自体を指すという現象は、どうやら普遍的なもので、人間がことばをどうとらえるかを垣間見ることができそうで、さらに深掘りすべき問題だといえます。
本コラムは『聴く中国語』2024年6月号に掲載しております。
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